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小樽市の文化財

国指定史跡 手宮洞窟(くつ)(Temiya Cave) 手宮洞窟
■所在地 :小樽市手宮1丁目3番4号
■指定年月日 :大正10年3月3日
■管理者 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 洞くつは慶応2(1866)年に小田原の石工長兵衛が建築用石材捜しの際に偶然洞くつに入り彫刻を発見したといわれています。
 この岩壁彫刻を最初に学界に発表したのは英国人地震学者ジョン・ミルンで、明治12(1879)年夏、現地を訪れて彫刻を模写し、翌13年アジア協会誌にその全貌を紹介しました。
 この彫刻は、古代岩壁彫刻として研究されています。平成元年に行われた発掘調査ではその出土遺物から、洞くつ壁画は約1.600年前に刻まれたものであることが判明しています。この遺跡は考古・人類学上、古代人の精神文化を知る上で第1級の遺跡といえます。

※詳しくはこちら(手宮洞窟保存館のページ)へ。



国指定史跡 忍路環状列石(Oshoro Stone Circle) 忍路環状列石
■所在地 :小樽市忍路2丁目
■指定年月日 :昭和36年3月10日
■管理者 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 忍路環状列石は三笠山山麓の緩斜面を平坦にカットし、その面に、大きな立石とその周囲に小石を並べたものを大きな楕円形(33m×22m)にめぐらせているものです。この遺跡は、縄文時代後期(約3.500年前)のもので、この時代に出現する「区画墓」と呼ばれる集団の墓地と考えられています。文久元(1861)年に発見され、大規模な土木工事の結果つくられたこの環状列石から、この地域に住んでいた集団の力を読み取ることができます。この環状列石の北側に隣接する同じ時代の忍路土場遺跡からは発掘調査で巨大木柱が発見されており、環状列石と関連する祭祀的な遺跡と考えられています。
※忍路環状列石の地図はこちらをご覧ください。



国指定重要文化財 旧日本郵船(株)小樽支店
(Former Nihon Yusen Co.,Ltd Otaru Branch)
旧日本郵船(株)小樽支店
■所在地 :小樽市色内3丁目7番8号 電話 0134-22-3316
■建築年代 :明治37年
■指定年月日 :昭和44年3月12日
■管理者 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 重要文化財旧日本郵船株式会社小樽支店は明治37(1904)年に着工し、明治39(1906)年に落成しました。設計者は工部大学校造家学科(東大工学部建築学科の前身)の第一期生、佐立七次郎です。明治の洋風石造建築を代表する建物のひとつです。純石造2階建てで内部は漆喰壁に北海道産木材のワニス塗装で、落ち着いた重厚なデザインに統一されています。
 当時この建物前面には、専用の船入澗、輸出入倉庫があり建物の裏側には鉄道が走るという営業のための好施設が完備しておりました。この建物は昭和29(1954)年まで支店に使われていましたが、昭和30(1955)年に市が譲り受け、その後、昭和44(1969)年に国の重要文化財に指定され、昭和59(1984)年から3年間、全面的な修理復元工事を行い、当時の雰囲気を再現しました。
※詳しくはこちら(旧日本郵船(株)小樽支店のページ)へ。



道指定史跡 地鎮山環状列石(Zichinyama Stone Circle)
■所在地 :小樽市忍路2丁目
■指定年月日 :昭和25年8月28日
■管理者 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 忍路環状列石の西、約1kmのところにある地鎮山(標高50m)の山頂に位置しています。その形は楕円形で、12個の大石が10m×8mの規模に配置されています。昭和24年に行われた発掘調査では中央よりやや南寄りに円形に小さな円石を集めた部分がみられ、その地下から2m×2mほど・深さ1m方形の墓穴が発見されています。底には川原石とみられる円石が敷かれていました。この遺跡も縄文時代後期の区画墓の一種と考えられています。
※地鎮山環状列石の地図はこちらをご覧ください。



道指定無形民俗文化財 松前神楽(Matsumae Kagura) 松前神楽2松前神楽1
■指定年月日 :平成20年6月9日
■連絡先 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 松前神楽は、江戸時代の始めに道南の松前周辺で行われていた、さまざまな神楽、田楽などの伝統芸能を集大成し、城内神事として伝承されてきました。当時の松前神楽は松前周辺の12の神社の神職によって演じられ、家ごとにその技術が伝えられていきました。
 その後、全道各地へ広がって行きますが、小樽へも福島町の常磐井家により明治26(1893)年に伝えられました。現在でも小樽市と道南の町村には、江戸時代以来の伝統的な舞・奏楽が伝承され、連合保存会も結成されています。
 演目は23座の演舞を含む33事の舞楽と神事によって構成されており、その中には、神遊舞、四ヶ散米舞、荒馬舞など北海道の独自性を良く表わしているものがあります。小樽では、広く市民各層からなる小樽保存会により活発な保存活動が行われています。



道指定有形文化財 にしん漁場建築(旧田中家母屋)
(Palatial House of Herring Fisherman(Nishin Goten))
にしん漁場建築
■所在地 :小樽市祝津3丁目228番地 電話 0134-22-1038
■建築年代 :明治26年
■指定年月日 :昭和35年5月31日
■管理者 :小樽市(産業港湾部観光振興室) 電話 0134-32-4111(内線266)
 明治から大正年間にかけて、日本海沿岸地域ではにしん漁で大いににぎわい、繁栄しました。その漁場経営者たちは豊富な資金を利用し母屋を中心とする番屋、蔵などの大規模な施設を沿岸各地に建設していきました。この建物はそのうちの一つで、積丹半島の泊村に漁場を経営していた田中福松の住居兼作業場の母屋です。この建物は明治24(1891)年から基礎工事にかかり、同26年に建築に着手、同30(1897)年にしゅん工しました。その後、昭和33(1958)年、現在地へ移築されたものです。豊富な道産の木材を使った梁や柱、また東北地方から取り寄せたと思われる檜などがふんだんに使われ、建築者の財力の一端をうかがうことができます。建物の外観は特徴的な大屋根中央の切妻造りの天窓、伽藍調を帯びた大屋根の庇(ひさし)などが目を引きます。建物内部には資料コーナーに、にしん漁の様子を写真などで展示しています。

詳しくは鰊(にしん)御殿のページへ。



道指定有形文化財 木造五百羅漢像(Wooden Gohyaku Rakan Statues) 木造五百羅漢像
■所在地 :小樽市潮見台1丁目19番10号
■指定年月日 :平成6年2月9日
■管理者 :宗圓寺 電話 0134-22-7772
 五百羅漢像を安置している宗圓寺は、寛永7(1630)年に松前藩主7代公廣の追善供養のため福山に建立されましたが、明治42(1909)年に羅漢像や建物の部材とともに小樽に移設されたものです。
 この五百羅漢像は、14代章廣が供養のため南部藩主に依頼し、文政8(1825)年盛岡より勧請し宗圓寺に納めたといわれていますが、室町〜桃山時代の作と思われるもの11体、江戸中期のもの236体、江戸末期のもの268体という調査結果が報告されています。このうち江戸中期のものの製作者名「暉常(うんじょう)」は最近の調査で松前に居住した能面師であったことが判りました。以上のように羅漢像の大半が江戸中期から末期のものであり、製作者についても一様ではありませんが、北海道での仏教信仰や彫刻の歴史を考えるうえで重要な資料となっています。



国指定重要文化財 旧手宮鉄道施設(former Railway facilities in Temiya)
■指定年月日:平成13年11月14日
市指定史跡 北海道鉄道開通起点(Hokkaido Railway Point of Origin)
■指定年月日:昭和41年11月3日
■所在地 :小樽市手宮1丁目
■管理者 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 

旧手宮鉄道施設

 北海道最初の鉄道はアメリカ人技師ジョセフ・U・クロフォードの指揮の下、明治13(1880)年に手宮と札幌間にひかれました。この鉄道は、本格的な鉄道としては新橋−横浜間、神戸−大阪間に続くもので、北海道の内陸部に米や生活物資を運ぶ生命線でした。本州などに運ばれた石炭は、日本の近代化に大きく貢献しました。
 旧手宮鉄道施設は、現存する日本最古の機関車庫=機関車庫3号(明治18(1885)年)、機関車庫1号、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁から構成されており、蒸気機関車が主流であった時代の鉄道システムを現在に伝えるものです。

(旧手宮鉄道施設のページへ)



市指定有形文化財 日本銀行旧小樽支店

日本銀行旧小樽支店
日本銀行旧小樽支店
日本銀行旧小樽支店

■所在地 :小樽市色内1丁目11番16号
■指定年月日 :平成14年9月17日
■管理者 :日本銀行
 小樽に日本銀行の派出所が初めて開設されたのは明治26(1893)年のことで、その後出張所を経て小樽支店に昇格となり、平成14(2002)年9月に営業を廃止するまで、地方経済の発展に重要な役割を果たしました。
 現在の建物は、明治42(1909)年7月に着工し、明治45(1912)年7月に完成したもので、北海道経済を担った小樽を代表する建物です。石造り風の外観は、レンガ造りの壁にモルタルを塗ったもので、銅葺きの屋根とともに銀行建築にふさわしい重厚な印象を与えています。
 設計者は、日本近代様式建築の先駆者である辰野金吾、長野宇平治、岡田信一郎の連名で記録されています。辰野は、日本銀行本店や東京駅といった明治・大正を代表する数多くの建物を設計しており、東京駅に代表される、赤レンガと白い花崗岩を組合せた「辰野式」と呼ばれている様式でも有名です。
 「辰野式」とは異なる外観のこの建物は、当時まだ20代の新鋭であり、以後、大正・昭和にかけて、日本建築の近代化に多大な功績を残す岡田の意匠よるところが大きいとも言われています。
 平成15年5月より、金融資料館として公開。


市指定無形民俗文化財 高島越後盆踊りの行事 高島越後踊り保存会
■指定年月日 :平成13年7月23日
■保持団体 :高島越後踊り保存会
■連絡先 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 高島地区は古くから漁業で栄えた地域であり、本州からの移住や往来が盛んに行なわれていました。本州からやってきた人々は、出身地からさまざまな風俗・習慣を持ち込みましたが、新潟県北蒲原郡地方出身者によって伝えられた盂蘭盆の行事(盆踊り)が越後盆踊りとして広まったといわれています。とくに明治以降、漁場の開発と漁業(特ににしん漁)の進展に伴い、新潟県北蒲原郡の各村から、高島地区へ多くの移住者がやってきたことにより、盆踊りの行事はますます盛んになりました。
 高島越後盆踊りは、元禄年間(1688〜1703)に新潟県地方で成立した踊り歌までその起源を遡ることができるといわれています。踊りと囃子は二つの形態があり、これらを交互に連続して行なうのが特徴です。歌は労働歌を中心に、およそ190の歌詞が採録されています。
 現在、他地域に伝えられていた盆踊りのほとんどは統合されたり消滅していますが、高島では近代以前にみられた盆踊りの形態が残されており、地域に密着した年中行事として今も地域の人々により保存されています。
高島越後踊り保存会
高島越後踊り保存会



市指定無形民俗文化財 忍路鰊(にしん)漁撈の行事(Otaru Herring Fishing Festival) 忍路鰊漁撈の行事
■指定年月日 :昭和55年10月8日
■保持団体 :忍路鰊場の会
■連絡先 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 北海道では、江戸時代から昭和初期にかけて日本海沿岸を中心ににしん漁でおおいに賑わいました。
 その後、にしんの漁場が北上するにつれ、この積丹半島周辺が一大好漁場となり、中でも西川伝右衛門が請負う忍路場所は江差追分のなかで「忍路高島及びもないが」と歌われるほどの大漁場でした。
 現在、この忍路場所があった忍路・蘭島地区で「忍路鰊場の会」が結成され、このにしん漁撈に関する歌、行事などが保存されています。保存されている労働歌は、手漕ぎ船で進む際に唄われる「船こぎ歌」、網をたぐり寄せるときに唄われる「網おこし歌」、網から にしんを船にすくいあげる時に唄う「沖あげ音頭」(いわゆるソーラン節)、網についたカズノコを叩いて落とす際に唄われる「子はたき音頭」などがあります。これらの歌は、苦しい労働の中から生まれた庶民の心の歌として、聞くものの心に大きな感動を与えるものです。
 また、にしん漁に伴う各種行事についても保存されており、民俗文化財として、高く評価されるものです。



市指定無形文化財 向井流水法(Classical style of swimming "Mukai style") 向井流水法
■指定年月日 :平成3年9月2日
■保持団体 :向井流水法会
■連絡先 :小樽市総合博物館 電話 0134-33-2523
 向井流は15世紀頃、伊勢(現在の三重県)地方でうまれ、主に御船手の泳法として確立しました。その後、会津(福島県)、佐倉(千葉県)、佐野(栃木県)、松江(島根県)などに伝わり、小樽には明治28(1896)年 元会津藩士によって伝えられました。
 泳ぎの基本は、飛び込むときも泳ぐときも常に目標から目を離さない、実用的なものです。そのため、泳ぎの姿勢は立ったような状態が基本となり、水中を歩くような足技「あおり足」や足首のスナップを生かして前足の裏で水を踏み込む「踏込扇(ふみこみおうぎ)」などが特徴的です。


市指定有形文化財 木造 聖観音立像 (Wooden Sho-Kan'non Statue) 聖観音立像
■所在地 :小樽市富岡1丁目19番21号
■指定年月日 :平成11年11月3日
■管理者 :浅草観音寺 電話 0134-22-4869
 平安時代中ごろ、10世紀後半に京都・滋賀周辺で造られたものと考えられる、道内で最も古い仏像の一つです。京都の聖護院にあった有門院(うもんいん)から明治二十年代後半に小樽にもたらされたといわれています。
 サクラ材による一木造。右手肘より先、左手の肩より先を別材で補修していますが、顔や胴体など主要な部分は約千年前の姿をよく残しています。丸顔に小ぶりの目と鼻が、それ以降の仏像とは違い、たいへん穏やかな表情をあらわしています。
 なお、拝観を希望する方は事前に浅草観音寺までご連絡ください。