おたる文学散歩

 

第6話  小林多喜二文学碑 刻まれた手紙(広報おたる平成18年12月号掲載)

  旭展望台に建てられた小林多喜二の文学碑には、次のような文章が刻まれています。

 

 「冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋(さんばし)がある そこでは 人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何(どこ)を歩いていようが どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上っている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない」

 

 これは、昭和5年8月、治安維持法などの容疑で起訴され、豊多摩(とよたま)刑務所に収容された小林多喜二が、村山籌子(むらやまかずこ)にあてた手紙の一部で、日付は11月11日となっています。

 

 その手紙は「東京の秋は何処まで深くなるのですか」と始まっています。獄窓からわずかに見える東京の青空がどんどん深みを増していくことに多喜二は驚き、そろそろ雪も降ろうかという故郷の街に、思いをはせているのです。

 

 ところでこの手紙を受けとった村山籌子とは、どんな女性だったのでしょう。

 

 村山籌子の夫、村山知義(ともよし)は劇作家、演出家、小説家で、前衛美術家としても知られています。社会主義活動に関わった時期があり、そのころ妻の籌子は、夫だけでなく、小林多喜二や中野重治(なかのしげはる)など獄中にあった作家を、心身ともに支え続けました。

 

 籌子自身は童話・童謡作家で、明るくリズミカル、ユーモア溢れた作品が最近続けて復刻され、時代を超えたその魅力が見直されています。「あめやさん」と題する童謡は次のようなものです。

 

 「きみには ボンボン、/きみには チョコレート、/きみには キャンディ、/きみには キャラメルを あげよう、/さあ/いくらでも/もってゆきたまえ。/すっかり、/もってゆきたまえ。/ぼくは、まだ、/やまほど/ようふくの したに/かくしているからね、きみ。」

 

 昭和8年2月、小林多喜二が拷問死したとき、籌子は「タキジ コロサレタ」とハンドバッグに白墨で書きつけ、危険をかえりみず、獄中の夫に秘かに知らせたそうです。

 旭展望台の小林多喜二文学碑

 

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