おたる文学散歩  

 

第3話 石川啄木と小樽駅(広報おたる平成18年9月号掲載)

  詩人、歌人、そして優れた思想家としても知られる石川啄木が生まれて、今年は120年目になります。その啄木と、小樽駅とのゆかりを紹介します。

 

 石川啄木一家は、明治40年9月、新しい新聞社、小樽日報社に赴任するため小樽に来たとき、まず姉夫妻の家に滞在しました。姉の夫、山本千三郎は北海道帝国鉄道管理局中央小樽駅(現小樽駅)の駅長となっていて、その官舎は現在の三角市場付近にありました。

 

 啄木は新聞記者として熱心に仕事をしました。自分が執筆した記事の切り抜き帳に『小樽のかたみ』と名付けたものが、今も残されています。

 

 かの年のかの新聞の初雪の/記事を書きしは/我なりしかな
 かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ

 

 けれども社内の争いにより、12月には小樽日報社を退社。翌明治41年1月19日、小樽駅を発ち、釧路へ向かいました。

 

 子を負ひて/雪の吹き入る停車場に/われ見送りし妻の眉かな(小樽駅前歌碑歌)
 忘れ来し煙草を思ふ/ゆけどゆけど/山なほ遠き雪の野の汽車
(短歌はいずれも石川啄木『一握の砂』より)

 

 なお、石川啄木が世話になった山本千三郎は、小樽駅の初代駅長の後、岩見沢駅長、室蘭運輸事務所長を歴任。四国、高知駅長を最後に退職し、鉄道員として生涯を全うしましたが、啄木の老父や、妻であり啄木の姉であったトラを最期までみとりました。

 

 このように石川啄木を迎え、そして見送った小樽駅。その駅前広場から三角市場に上る階段脇に、平成17年10月23日、市内3番目の啄木歌碑が建てられたのです。

 

石川啄木歌費(小樽駅前)

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