小樽ゆき物語


昔変わらぬ職人坂

 現在、小樽では、匠(たくみ)たちが伝統の業(わざ)を後世へ伝えようと積極的に活動しています。小樽は、今も昔も変わらず、多くの職人が集い、腕をふるうまちだと言えます。
 観光客が集う寿司屋通りから、途中、水天宮通りへ上り、入船方面へと下る坂。それが「職人坂」です。幅の狭い道の両脇には、仏壇屋や家具・建具屋などが並び、今も往時の面影を残しています。明治から大正・昭和にかけて、このかいわいは料亭などが並ぶ花街で、1年中、人々でにぎわっていました。人が集まるところには、仕事があります。仏壇屋や職人坂家具・建具屋をはじめ、塗り師、張り師、彫り師、表具師、金具師、さらには古着屋や古道具屋などの職人が仕事場を並べていました。これに由来し、職人坂の名がついたのです。
 市内の町名にも名前の由来があります。例えば、色内がアイヌ語の「イルオナイ(クマが通る沢)」、勝納が「カッチナイ(水源の沢)」(※)に由来します。職人坂がある山田町はというと、市内で唯一、人名を冠した町名です。
 その昔、入船と色内を結ぶ道は、水天宮の山を削って埋め立てた海岸道路のみ。住民はとても不便を感じていました。それを知った山田吉兵衛ほか2人が、明治15(1882)年1月、私財を投じて相生町から水天宮の西を通り妙見川に至る道(延長1150メートル)を1年かけて開削しました。この付近一帯が山田吉兵衛 (やまだきちべえ)の所有地だったことから、山田の名をとり町名としたものでした。
 小樽は人情の行き交うまち。山田町の由来に裏打ちされた人情を感じながら、職人坂をゆっくり歩いてみてはいかがでしょう。

(※)勝納が『カッチナイ(水源の沢)』に由来」としましたが、勝納の由来は「豊沢」(出典は永田方正著「北海道蝦夷語地名解」(明治24年))であるとの説が有力であるため、訂正します。

協力:小樽史談会
参考資料:永田方正著「北海道蝦夷語地名解」(明治24年)

職人坂の地図

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