小樽雪あかりの路-2019.2.8~2.17


コッフさんと外人坂  後編

 外人坂の名前の由来となったドイツ人貿易商コッフさん一家は小樽で幸せに暮らしていました。昭和14年、グンター君とエルガさん(日本名キクさん)は教育のためドイツにいったん帰りましたが、兄妹を待っていたのは、第二次世界大戦開戦の知らせでした。
 コッフさんから兄妹への手紙は検閲のため7年間も届かず、一家がようやく再会できたのは11年後、戦後の昭和25年でした。コッフ夫妻は、小樽での事業再興を断念して帰国することになりましたが、その際には、寿原市長はじめ多くの市外人坂民による盛大なお別れ会が開かれました。
 コッフさん一家と小樽のまちのつながりはここで終わったかのように見えましたが、一家のことが小樽の人々の記憶から薄れた平成5年、一通の手紙が小樽に届きました。
 手紙の主はマンスハルトさん。結婚して姓の変わった、コッフさんのお嬢さんのキクさんでした。キクさんはその年の7月に生まれ育った小樽を訪ね、子どものころ一緒に遊んだ旧友との再会を果たし、市役所に新谷市長を訪ねました。その席でキクさんが、「両親と兄と過ごした小樽での日々が生涯で一番幸せでした」と語り、感極まって涙声になる場面もあったと、当時の新聞は伝えています。
 多感な少女時代を小樽で過ごしたキクさんは、日本への強い思いから、20年前にフライブルグ独日文化協会を設立し、現在も現地の日本人との交流に尽くされています。
 水天宮から続く外人坂。かつてここで幸せに暮らしていた外国人一家。たたずめば兄妹の声がどこからか聞こえてくる気がします。

             外人坂の地図

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