小樽ゆき物語


港を見つめる船見坂  後編

 船見坂を登り、山頂の旭展望台に続く道からは小樽の街を一望することができます。旭山がまだ三角山と呼ばれていたころ、子どもたちにとってここは最高の遊び場でした。
 明治時代中期、ニシン漁は最盛期を迎えます。ニシンは単に食料としてだけでなく、ニシン粕(かす)と呼ばれる魚肥としての価値もありました。このニシン粕を生産するための燃料として、市内の雑木が大量に伐採されましたが、ここ三角山の海側斜面も同様でした。この伐採により障害物がなくなり、民家の絶えたあたりには、石垣を積んで作られた平坦な区船見坂画が階段状にいくつもあって、まさに子どもたちにとって自然の運動場ができあがりました。
 夏になると、棒きれ一本で兵隊ごっこ、トンボやバッタなどの虫捕り、時には青大将と遭遇して大騒ぎしていました。そして冬には、身近なゲレンデに早変わりします。「正ちゃん帽」に「ぼっこ手袋」、長靴にスキーを着けて、そのまま三角山から船見坂を滑り降りてきます。ソリはさらにスリル満点。意味も分らないのに「去れよ!去れよ!」「去らねば山からモコ(蒙古=もうこ)くるぞ!」と叫びながら、ものすごいスピードで一直線に降りる気分は、実にそう快でした。
 当時の交通手段はリヤカーと大八車、せいぜい荷馬車が走っている程度でしたから、大人たちは山坂で縦横無尽に遊びまわる子どもたちを黙って見守ってくれたものです。
 現在は、美しい緑が育ち、住宅も建ち並んで、子どもたちが走り回る姿はありませんが、港を見おろし、そっと耳を澄ませば、今にも子どもたちの笑い声が聞こえてくるようです。

協力:小樽史談会船見坂昔の写真

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