長昌寺の坂と銀鱗荘

 小樽港を、その南端で守るかのようにそそり立つ平磯岬。その札幌側斜面に位置するのが長昌寺の坂です。平磯岬は、安政3(1856)年、この岬を通過した松浦武四郎(まつうらたけしろう)が『西蝦夷日誌(にしえぞにっし)』の中で「岩岬。大難所。風波の時通り難し」と書くほどの交通の難所でした。そのため人々は、長昌寺の坂を上り、平磯岬の峠を越えてまちに向かったそうです。
 坂を上ると、長昌寺の夫婦銀杏がまず目に留まります。長昌寺は、開基が文久年間(1860年代)という歴史のある寺院で、この夫婦銀杏は北海道の記念保護樹になっています。長昌寺の坂
 坂の上には銀鱗荘が見えます。 銀鱗荘は、最初からここに建っていたわけではありません。望楼を持つ豪壮なその建物は、明治6(1873)年に余市の猪俣漁場の邸宅として建てられたものでしたが、その後、ニシンの不漁のため、手放されました。そして、この建物を買い取ったのは、小樽の地で日本酒醸造業によって財をなした野口喜一郎(のぐちきいちろう)氏でした。
 当時、東小樽はさみしい農漁村でした。昭和6(1931)年、札樽国道の改修により、広い国道ができ、平磯岬にトンネルを開通させることも決まりました。地域の将来性を信じた野口氏はここを開発することを計画。氏を組合長に昭和九年に発足した東小樽土地区画整理組合は、40万坪という大規模な都市計画に取り組みました。その中で、氏は、地域発展の核となるように、昭和14(1939)年、眺望のよい平磯岬に移築して銀鱗荘としました。
 長昌寺の坂を上り、平磯岬から海とまちなみを眺めるとき、東小樽の開発に力を注いだ人々の思いが伝わってくるようです。

長昌寺の坂の地図

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