小樽ゆき物語


観音坂 中編 伊藤整の初恋

 前号で紹介した忍路の観音坂は、かつて国道が開通するまでは、忍路と蘭島をつなぐ大切な生活道路として通学の生徒たちや蘭島駅に向かう人々でにぎわっていました。しかし今では車も通行せず、普段は歩く人もほとんどいません。こうしていつしかその名を知る人も少なくなった観音坂ですが、意外なことにこの坂は小樽の生んだ文学者、伊藤整の詩集『雪明りの路(ゆきあかりのみち)』に登場します。
 伊藤整は明治38(1905)年生まれ。当時の忍路郡塩谷村で育ち、10代半ばから作った詩を大正15年、21歳のときに『雪明りの路』として出版しました。観音坂はこの中の「月夜を歩く」の一場面として出てくるのです。

月夜を歩く
泣きやんだあとの様に/月が白い輪をもつた夜更けて/私は/ひとり忍路の街を通りぬける。(中略)塩風で白くなつた板戸の前をすぎて/わるいことをするやうに/下駄(げた)の音をしのばせてそこを通りぬけた。/あゝ 何のための/遠い夜道だつたらう。/いたどりの多い忍路から出る坂路で/誰も知るまいと/私は白い月を顔にあびて微笑(ほほえ)んでみたのだ。


 この詩の中の「いたどりの多い忍路から出る坂路」が観音坂なのです。観音坂
 忍路には当時、伊藤整の初恋の人と言われた角田(かくた)チエという少女が住んでいました。彼は、この少女への思いを胸に、月夜の道をはるばる塩谷から歩いてきたのです。しかし、少女に会うこともなく、ただその家の前をそっと通りすぎ、観音坂を越えて蘭島駅へ向かったのです。角田チエは『雪明りの路』の、その名も「忍路」という詩のなかに「頬(ほお)のあはい まなざしの佳(よ)い人」で「浜風のなでしこのやうであつた」とも歌われています。
 伊藤整は、庁立小樽中学(現小樽潮陵高校)を経て、小樽高商(現小樽商科大学)に学びました。高商では一年上級に、後にプロレタリア文学者となった小林多喜二(こばやしたきじ)がいました。その後小樽市中学校で英語教諭を務めたあと上京し、文学者としての道を歩み始めました。
 ニシン漁で栄えた忍路を見下ろす観音坂。この坂はまた、伊藤整の初恋の目撃者でもあったのです。次号では、観音坂を越えて、北海道で初めて海水浴場が開設された蘭島海岸を訪れます。

参考資料:伊藤整著「雪明りの路」 引用は原文のまま

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