小樽ゆき物語


観音坂 後編 蘭島海水浴場

 忍路から観音坂を上り、峠を越えると眼下に海が広がります。これが忍路湾の陰影に富んだ景色とは対照的に、明るく広々とした蘭島海岸です。
 明治35(1902)年12月、函館からの鉄道が開通し、蘭島に駅ができました。翌年5月には小樽駅までの線路も完成。鉄道の開通により、200戸ほどの漁村であった蘭島に小樽や札幌から大勢の海水浴客が訪れるようになったのです。
 海水浴は明治初期に海外から移入され、北海道では、お雇い外国人などが銭函や函館の七重浜を利用しました。しかし、本格的な海水浴場は、明治36年7月に蘭島海岸に休憩所を設けたのが北海道での始まりとされています。この海水浴場を始めたのが、地元漁業者の丸山三郎氏でした。
 蘭島に駅が設置されたのは、実はこの丸山氏が鉄道会社に用地を無償で提供し、駅を誘致したおかげでした。当初、駅は忍路村字土場、現在の忍路土場会館のそばに設置される予定でした。しかし、地主との用地買収交渉が長引くうちに、丸山氏から用地の無償提供の申し出があり、一転して蘭島に駅が設置されることになったわけです。
 蘭島海岸は、駅から近く、遠浅で白い砂浜に恵まれていました。また、右手にポロマイ岬の岩壁と兜岩(かぶといわ)、左手には余市のシリパ岬を望む素晴らしい景色に人気が集まりました。
 大正から昭和初期にかけて、蘭島海水浴場はその全盛期を迎えました。毎年夏には臨時列車が増発され、蘭島駅前は海水浴客で大にぎわいでした。また、別荘地の分譲も盛んで、高岡北大総長、マッキンノン小樽商大教授、河原小樽蘭島駅前の賑わい市長など、各界の名士が競って蘭島に別荘を建てたのです。
 蘭島はまた、子どもたちに水泳を教える「水泳講習会」の会場としても使われてきました。講習会は明治28年に信香町で始められ、昭和34年からは蘭島で開催されるようになりました。50代半ばまでの皆さんには、蘭島での水泳講習会は懐かしい思い出となっていることでしょう。
 蘭島海岸にある「北海道海水浴場開設発祥之地」の碑からは、蘭島に住む皆さんの海水浴場への思い入れが強く伝わってきます。歴史に「もし」はないといいますが、もし駅が蘭島ではなく忍路にできていたら、現在の蘭島、忍路の姿はどうなっていたのか想像してみるのも面白いですね。

参考資料:「蘭島海水浴場80年のあゆみ」

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