小樽ゆき物語


赤坂 前編  小樽港とともに

 南小樽駅から海の方角に少し歩くと、道は左右の下り坂に分かれます。左は三本木急坂、右は山ノ上の坂です。この交差点に立って海を眺めると実はもう一つの急坂が足元から下っているのに気が付きます。これが赤坂です。この近辺の土の色が赤かったことが名前の由来と言われています。
 坂の下の臨港線から坂のある斜面を見上げると、まるで海岸のがけのように見えます。昔は赤坂のすぐ下が海岸でした。臨港線のある場所は埋め立てによって出来た土地だったのです。
 赤坂の上の交差点の角に創業明治42年の若林硝子(ガラス)店があります。今年87歳のご主人に赤坂にまつわる昔の話を伺いました。赤坂
 ご主人は、当時山ノ上町と呼ばれた現在地で大正5年に生まれました。子どものころは、夏はふんどし一つで赤坂を下り、海岸でウニやアワビをとって遊びました。冬は坂の途中にジャンプ台をこしらえ、仲間たちと競ってスキージャンプに興じたそうです。海岸線には荷馬車が通る細い道がありました。ときには勢い余って、スキーを履いたまま、荷馬車の下に潜り込んでしまうこともあったと言います。
 当時、坂の下の右手に、高橋直治(たかはしなおじ)の豆撰(とうせん)工場(豆類のえり分け作業場)がありました。高橋直治は、第一次大戦による品不足で高騰した豆類を欧州に輸出し、巨利を得て「小豆将軍」と呼ばれた小樽商人です。たくさんの女子工員が、工場への行き来に赤坂を通っていたのを ご主人は昨日のことのように覚えています。
 また、坂の下の左には、インチ材と呼ばれた道産ナラ材を扱う高桑という材木商がありました。インチ材は小樽港の欧州への主力輸出品でした。
 赤坂の下の海岸が埋め立てられたのは、昭和6年ころ。埋め立て用の土砂は、住吉神社の上の山を崩してトロッコで運びました。そのために神社脇の坂から国道5号を陸橋で越え、量徳小の前を通って赤坂の下までレールが敷かれました。土砂を積んだトロッコが何台も行き来したそうです。
 赤坂の上に立って小樽港を望むと、正面には赤と白の灯台が、そして左手には、今年設置されたコンテナ用ガントリークレーンが目に飛び込んできます。赤坂は、時代とともに姿を変えてきた港の変遷を静かに見守っているかのようです。

赤坂の地図

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