小樽ゆき物語


赤坂 後編  小樽海港博覧会

 前回紹介した住吉町の赤坂の下の海岸が埋め立てられたのは昭和6年ごろでした。赤坂の交差点角の若林硝子(ガラス)店のご主人によると、埋め立て用の土砂を載せたトロッコが店の前を忙しく行き来したそうです。
 このときの埋め立て工事は、堺町にあった立岩から勝納川河口までの区域を市で埋め立てたもので、昭和3年1月に起工し、昭和7年8月に完了しました。総埋め立て面積が約3万坪という大規模なものでした。
 明治42年に北防波堤が、大正10年に南防波堤が完成し、近代港湾となった小樽港は、小樽運河造成に続いて行われたこの埋め立て工事で、現在の臨海部の原型がほぼ形作られました。
 現在、メルヘン交差点と呼ばれている観光客の集まる五差路付近は、この工事の前は、船が入る入り江で、入船澗(いりふねま)と呼ばれていたそうです。まさに入船という地名がふさわしい場所でした。
 この入船澗が埋め立てられて土地ができたころ、札幌で北海道拓殖博覧会が開催されることになりました。全国からたくさんの人が札幌市に集まるこの博覧会開催の機会をとらえて、小樽市でも博覧会を開催しようという機運が商工会議所を中心に起こりました。会議所の運動は市をはじめ各方面を動かし、昭和6年新春には博覧会開催の計画が発表されました。名称は「小樽海港博覧会」。会場は現在のメルヘン交差点を中心とした埋め立て地約6700坪でした。小樽海港博覧会
 博覧会は同年7月11日から41日間開催されました。会場には、水族館、海事海運館、産業貿易館、樺太館など港湾都市小樽ならではの展示館が並びました。ソビエト館もあり、小樽港の対岸貿易にかける期待が感じられます。
 10代半ばだった硝子店のご主人は、博覧会の水族館に設置された水槽のガラスを会場に届けに行きました。3センチもの厚さのガラスでしたが、水圧でひびが入り、修繕したこともあったそうです。潜水館では、三重県の鳥羽から来た海女による珍しい潜水実技が観客の注目を集めました。
 今、観光客でにぎわうメルヘン交差点に立つと70数年前にこの場所が埋め立てられて、博覧会が開催されたことが不思議に思われます。

参考資料:「小樽海港博覧会誌」(昭和7年発行)

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