小樽ゆき物語


山ノ上の坂 前編  安政の坂道

 南小樽駅から海に向かって歩くと、三つの坂が交わる交差点に出ます。左は三本木急坂、正面は前2回で紹介した赤坂です。今回は、交差点を右に曲がって、信香町に向かって下る、山ノ上の坂を紹介します。
 山ノ上の坂という名前には、この地域の歴史がそのまま刻まれています。
 19世紀中ごろ、安政年間の小樽の市街地の中心は勝納川河口と入船川河口の間にありました。現在の勝納町、信香町、有幌町がそれに当たります。オタルナイ場所の運上屋も入船川河口右岸にありました。安政年間は、小樽の道路の開削や川に橋を架ける工事が行われ、まちがその体裁を整えていった時代でもありました。山の上の坂
 安政4(1857)年、オタルナイの場所請負人、岡田半兵衛は雇漁夫150人を動員し、有幌と信香の間の高台を開き、ここを山ノ上町(現在の住吉町)としました。翌年には有幌から山ノ上町を経て信香に至る新道(長さ5町、幅4間)が開かれ、この道が今の三本木急坂と山ノ上の坂です。このように町名が坂の名の由来となったわけです。
 山ノ上の坂はまた、その開かれた時代から、安政の坂道とも呼ばれています。
 坂の名の由来が分かったところで、それでは、坂を下ってみることにしましょう。
 道の幅は開かれた時で4間(7.2メートル)あったといいます。当時としては広い道だったことでしょう。地元の方に伺うと、終戦後、この道をバスが通っていたこともあったそうです。
 臨港線に向かって下りると、右手に建つ黒壁の商家に気がつきます。この建物は繊維卸業の小堀商店が建てたものです。窓や玄関などの開口部は防火シャッターが取り付けられ、窓は二重窓になっていて、重厚で歴史を感じさせる造りです。
 さらに坂を下り、臨港線を少し歩くと、右手に「オタルナイ役所跡」と書かれた案内板が建っています。ここには、慶応2(1866)年から明治14年までオタルナイ役所(後の郡役所)が置かれていました。看板の脇に建つ小さな石柱は、ここがかつて小樽の中心であったことを伝えています。
 後編は、山ノ上の坂にある旧小堀商店の建物をめぐる歴史について紹介します。

山の上の坂の地図

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