小樽ゆき物語


十一坂 前編 十一荒木酒造

 国道5号の入船十字街から海に向かうと、やがて道は鉄道陸橋と交差します。陸橋の手前左側の北海油脂と入船会館の間にこぢんまりとした坂があるのに気が付きます。これが今回の十一坂(じゅういちざか)です。
 坂を上っていくと、道は線路より高くなり、振り返ると陸橋が下に見えます。冬は近所の人が歩くだけのようで、雪に細い踏み跡が続いています。
 十一坂とは珍しい名前です。どうしてこのような名前になったのでしょうか。
 坂のある線路脇の高台は、十一山と呼ばれています。それは近所に「十一荒木」(十一は屋号)という造り酒屋があったためです。この坂も、同じように十一坂と呼ばれるようになったわけです。
 市史第1巻に「入船町61番地(略)の「十一荒木」は小樽清酒醸造の元祖といわれている」とあります。この荒木酒造はすでにありませんが、近所の石ヶ守商店の ご主人によると、昔、北海油脂の場所にあったそうです。
 明治34年出版の「小樽港明細案内図」には、たしかにこの場所に「十一酒造店」の表示があります。また店の前の通りには、現在は道路の下を流れている入船川も描かれています。
 さらに調べていくと、荒木酒造のご子孫が、現在は東京にお住まいであることが分かりました。十一坂
 その方によると、新潟から移住した曽祖父が荒木酒造を興したのは明治の初めのころでした。酒造業は祖父の代に廃業しましたが、「芳の川(よしのがわ)」という銘柄の酒を造っていたとのことです。
 子どものころは、冬は十一坂をソリやスキーで滑って遊んだそうです。勢い余って入船川に落ちたこともありました。当時は通りを行き交うのは荷馬車ぐらいで、入船川の河畔には柳の枝がゆれているという大変のどかな時代でした。
 その後、第二次大戦の末期に、空襲による火災を防ぐための家屋強制疎開により、十一荒木も含めこの地区の木造建築は壊されてしまいました。
 石造建築だったため強制疎開を免れた石ヶ守商店の立派なうだつ(防火袖壁)が、にぎやかだった当時の入船界わいの様子を今に伝えています。
 後編では、十一坂のそばの末広稲荷(いなり)にまつわる歴史についてお伝えします。

十一坂の地図

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