小樽ゆき物語


十一坂 後編 末広稲荷

 十一坂(じゅういちざか)は、入船と花園をつなぐ近道として明治時代から使われて来ました。そのせいか、こう配は急で幅も狭く、車で通るより、ゆっくりと歩いて上る方が似合う坂です。
 坂のそばに、歴史を感じさせるものが二つあります。一つは入船陸橋です。最初の陸橋は明治13年、鉄道開通時の木製のものでしたが、これは傷みのため明治18年にれんがで改築されました。現在の海側にある橋脚は、明治43年5月十一坂に手宮線が複線化された時に改築されたものです。山側の橋脚は、明治38年に現在の小樽駅と南小樽駅間の線路が開通したときに新たに造られたものです。どちらの橋脚も、その古びたれんがに時代を感じさせられます。
 もう一つは末広稲荷(いなり)です。陸橋の海側に寄り添うように建つ小さな神社の境内には、その由緒を記した立て札があります。末広稲荷は、小樽の有名な侠客(きょうかく)だった末広こと鈴木吉五郎が、明治17年に京都伏見稲荷から分霊し祭ったもので、今年で120年にもなります。
 吉五郎は、芝居小屋の末広座を興したほか、私設消防組も発足させました。末広座は、明治34年出版の地図にも「十一酒造店」の道路をはさんで向かいに「末廣座」と記載されています。地図には、今は道路の下になった入船川も描かれています。
 昔、入船かいわいは料亭や見番(芸妓(げいぎ))の手配をするところ)などが軒を並べ、花街としてにぎわっていました。末広稲荷も花柳界に働く人たちの信仰を広く集めていました。
 鈴木吉五郎の亡くなった後は、人力車屋を営んでいた大畑五郎次が、末広稲荷の世話を引き継ぎました。地図にはちょうど末広稲荷のある場所にその名前が見られます。
 現在は、ご近所の有志の皆さんが末広稲荷の維持管理をしています。代表をしている方によると、末広稲荷は、地域の有志の皆さんに大切に守られながら、いまでも地域のシンボルとして折々の行事が、皆さんのふれ合いの場となっているそうです。
 十一坂は、この地域の移り変わりを静かに見守っているかのようです。

明治34年小樽港明細案合図

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