小樽ゆき物語


なべこわしの坂 前編

 朝里十字街から朝里川温泉に向かい、橋を渡ると文治沢(ぶんじさわ)のバス停があります。バス停のそばに道路が交差しており、この道は右に曲がって緩やかな上り坂となって望洋台に続いています。この坂は「なべこわしの坂」と呼ばれています。
 なべこわしの坂とは、全く不思議な名前です。誰もがその名前の由来を知りたくなります。そこで、坂の名前の由来などを、昔からこの地域に住んでいる方に伺いました。
 大正10年生まれのこの方の祖父が、本州から来道し、当時、朝里村大字熊碓村字文治沢と呼ばれていたこの地区に入植したのは明治の中ごろでした。文治沢に入植した農家は、50世帯ほど。山がちな文治沢に、それらの農家が点在していたそうです。
 当時の農家には、必ずと言ってもよいほど馬が1頭ずつ飼われていました。山野を開墾するため、そして荷物を運ぶために、馬はなくてはならないものでした。なべこわしの坂
 昔は、文治沢の人々が小樽のまちに出掛けるときは、主に現在の豊倉小学校の脇の林道を使っていました。なべこわしの坂は、当時は荷馬車が通れる幅しかなく、雨が降るとぬかるんで滑るため、一般にはあまり使われなかったようです。
 文治沢の農家が生産した野菜や木炭は、馬の背に乗せられて、まちに運ばれました。住吉神社付近の道路には、文治沢などの近郊の農家が運んだ農産物の朝市の風景が見られたそうです。
 あるとき、まちに出掛けた農民が、まちで買った鍋を馬の背に乗せて帰ってきて、この坂に差しかかりました。雨で滑りやすくなっていた道に足をとられた馬は横倒しになり、そのはずみで買ったばかりの鍋が壊れてしまいました。それ以来、この坂はなべこわしの坂と呼ばれるようになった…、というのが坂の由来の通説となっています。しかし、昔のことなので真偽のほどは定かでないというのが本当のところのようです。
 後編は、坂の途中に祭られている馬頭観音と文治沢の昔の暮らしについてご紹介します。

なべこわしの坂の地図

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