小樽ゆき物語


千秋通りの坂 後編 天狗山スキー場

 まちのほとんどの場所から見ることのできる天狗山。千秋通りの坂の下に立つと、坂の上には天狗山スキー場の急な斜面が見えます。
 小樽は昔からスキーの盛んな土地柄で「スキーのメッカ」、「スキーのふるさと」などと呼ばれてきました。そのため、市民の間には、天狗山スキー場に対する思い入れが特別に強いようです。
 小樽にスキーが正式に伝えられた時期は、明治45年2月とされています。同月、新潟県高田市で行われたスキー講習会に派遣された小樽商大の苫米地(とまべち)講師が持ち帰った3台のスキーで、教員や学生が練習したと新聞記事は伝えています。
 その後、商大と小樽新聞社が中心となって小樽スキー倶楽部が大正元年10月に結成されると、好奇心旺盛な市民の間に、スキーは爆発的な人気が出ます。スキーを履いたまま道路を歩く人も出てきて、警察から注意するようにとの新聞記事も書かれるほどでした。
 初めのころは、小樽公園や商大周辺の斜面でスキーをしていた人も、自然と高い山へと目が向かいます。大正2年1月に、前年に続いて26人で天狗山スキー登山をした商大スキー部の記録には「午前10時本校出発の時は珍しく快晴、山千秋通りの坂麓(さんろく)にて高山登山の注意等あり、終わって電光形に登攀(とうはん)し一千尺の天狗山も、校庭出発より2時間にして全く頂上に達す」とあります。「高山登山」とは少し大げさに思えますが、当時はまだ千秋通り周辺も原野のような状態でしたから、坂の上にそびえる天狗山はまさに「高山」と感じられたのでしょう。
 その後、天狗山スキー場は市民のスキーの場として人気を集めます。昭和27年、天狗山で開催されたスキー国体では、千秋通りの坂を、市民が続々と列をなして上ってくる様子に、市外からの参加者が「さすが小樽はスキーのメッカだ」と感嘆したということです。
 前編でご紹介した法雷寺のご住職も「昔は車も少なかったので、天狗山からスキーを履いたまま、千秋通りの坂を滑って家まで下りてきたものです」と話していますが、同じような思い出をお持ちの皆さんも多いのではないでしょうか。
 天狗山へと続く千秋通りの坂は、スキーを愛する市民にとってもなじみ深い坂といえそうです。

参考資料:中浦皓至著「小樽のスキー」

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