冬の小樽運河


見晴らし坂 後編 旧板谷邸と出世坂

 堺町から見晴らし坂を上ると町名は東雲町に変わり、坂の上からは港と日本海を眺めることができます。昭和2年に、ここに旧板谷邸が建てられたのも、その眺めの故であったといいます。
 この高台が選ばれたのは、一つには板谷家の家業である海運業の仕事場である海を一望できるからでした。旧板谷邸の向かいは現在マンションになっていますが、ここもかつては金物商の名取高三郎(なとりたかさぶろう)邸でした。このように近隣には成功した経済人が好んで邸宅を構えたため、この見晴らし坂のことを出世坂と呼ぶ人もいるようです。
 旧板谷邸を建てた二代目板谷宮吉(いたやみやきち)氏は、初代の手掛けた事業を拡張し、海運業だけではなく、銀行、鉱山や農場を経営するなど幅広い分野で成功を収めました。またこれらの事業で得た利益を公共のために寄付したことでも知られています。
 長橋中学校の前身である市立小樽中学校は、板谷家から敷地1万坪と現在の貨幣価値で4億円もの寄付金を受けて大正14年に創立されました。
 昭和8年から12年まで、板谷宮吉氏は、報酬を得ない名誉市長として小樽市長も務めました。昭和8年は市役所本館の完成した年ですから、新築間もない重厚な市長室で執務するのは格別の気分ではなかったでしょうか。
 旧板谷邸は私邸でしたから内部の造作や、そこでの人々の暮らしぶりはあまり知られてはいません。しかし広壮な家敷地にもかかわらずその暮らしぶりは意外と質素だったようです。
 板谷家は従業員を家族のように扱う大家族的な社風で知られていました。テニスコートのあった庭も、戦時中は畑にし、収穫した作物は社員に配られました。また、毎年一度、社員を挙げて一日がかりで邸宅の大掃除をしました。母屋の窓は全部外して洗い、洋館の高い窓もはしごを掛けて磨きました。とくに母屋の廊下は桜の板張りで、水にぬれると染みになるため天気を気にしながらきれいに磨き上げたそうです。
 掃除をする社員たちには、お昼におにぎりと豚汁が振る舞われ、終わった後には、みんなで妙見川沿いの銭湯「瀧の湯」で汗を流しました。会社の一体感を感じる年中行事だったということです。
 見晴らし坂の上に建つ旧板谷邸には、明治以来の小樽の歴史の流れが息づいているようです。

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