冬の小樽運河

 

野藤坂  梅ヶ枝町界わいの今と昔

 手宮バスターミナルから、済生会小樽病院に向かって歩いていくと、手宮保育所の手前で道は右に曲がります。地元の方は、この曲がり角までを「常盤通り」、曲がってからの道を「梅ヶ枝通り」と呼んでいます。
 この近隣は、手宮線がまだ通っていたころは国鉄関係者や手宮線を利用して通勤する人々が多く住んでいて、大変にぎやかでした。今でも、この地域には多くの銭湯が営業を続け、酒屋の店先で仕事の後に杯を酌み交わす姿が見られるなど、人々のふれあいの場が健在です。
 梅ヶ枝通りをしばらく行くと、左手に上り坂があり、坂の右手には自然石の立派な石碑が建っています。石碑には「野藤坂(のとざか)」とあり、その背面には「讃故小樽市会議員野藤常太郎(のとつねたろう)君之功績 昭和 14年10月 梅豊町会建之」と刻まれています。
 坂はかなりの急こう配で、真っすぐ上っています。坂のある斜面は、梅ヶ枝通りに沿って、一部はがけになって続いています。斜面に平行に道があり住宅が並んでいます。かつてはこの斜面を上るには、手宮保育所の上にある水天宮の前を通るか、済生会小樽病院のさらに奥まで行かなければなりませんでした。野藤坂
 この野藤坂のお陰で、梅ヶ枝町と豊川町にまたがって広がる住宅地への交通がずいぶんと便利になったことがうかがわれます。
 野藤氏は昭和9年に市会議員(当時は市議会ではなく市会と呼ばれていました)に当選しましたが、在任中に亡くなりました。石碑は氏の地域への功績を顕彰するために、当時の梅豊町会が建てたもののようです。
 梅ヶ枝通りを眺めると、昔からの道にしては通りが広いことに気付きます。昔、この通りに川が流れており、両側に馬車が通れる幅の道があったそうです。この川は昭和 30年代半ばに埋められましたが、道が広いのはそのせいでしょうか。
 かつては済生会小樽病院の辺りと、道路を挟んで梅広会館から市営梅ヶ枝団地辺りまで、当時、北郭と呼ばれた遊郭がありました。しかし、戦後はそれらの建物は引揚者用住宅やアパートとになり、やはり昭和 40年代には姿を消しました。
 野藤坂の石碑は、梅ヶ枝町界わいの移り変わりを静かに眺めているかのようです。

野藤坂の地図

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