冬の小樽運河


停車場の坂  前編 徳源寺

 国道五号のバス停「塩谷」のそばに、山側に向かって上っていく坂道があります。坂を上るとすぐ右手に徳源寺があり、寺の門柱がまるでこの坂の門番のように立っています。
 「この坂は昔『停車場の坂』と呼ばれていましたが、今ではそう呼ぶ人も少なくなりました」と、徳源寺のご住職。坂を越えた向こうに塩谷駅があることからの名前のようです。
 徳源寺は、文久2(1862)年、今より海寄りの場所の吉原に創建され、明治32年に現在地に移転しました。この地域は、吉原より後に開けたということで新吉原と呼ばれています。停車場の坂
 徳源寺の境内に立つと、正面には本堂、そして左手には龍神堂があります。手の込んだ装飾の施された屋根が歴史を感じさせます。本堂を建てた棟りょうは伊久治三郎といい、大正 8年に相生町の水天宮も手掛けた人です。
 境内には立派なクロマツとイチョウの木が3本ずつあり、小樽市の保存樹木に指定されています。クロマツの樹齢は250年以上、イチョウは150年以上と推定されています。特に本堂前の左にあるイチョウは、二本の木の枝がつながっている珍しいものです。
 塩谷の浜も、かつてニシン漁で沸き返った時代がありました。漁期の前には、大漁を願って龍神堂で祈とうが行われました。ニシンが捕れると、寺男がモッコ(木製の背負い箱)で浜からニシンを寺に運んで来ました。昭和 29年を最後にニシンは浜から去りましたが、それでも「タコが捕れたから取りにおいで」と、親しくしている漁師から今でも寺に電話が来るそうです。
 徳源寺のご住職にとって坂の思い出は、なんと言っても汽車通学です。ここがまだ塩谷村であったころ、友達と小樽市内の中学校と高校に通うため、この坂を上り塩谷駅から汽車で通学しました。
 冬には深い雪をこいで坂を上り、峠の切り割りを越えて駅まで歩きました。当時は大雪のために汽車が遅れることもしばしばだったそうです。
 自家用車が普及し、国道も整備拡幅された現在と違って鉄道の利用が一般的であった昔は、塩谷駅が地域の人々の暮らしに今より密接にかかわっていました。そのような中から停車場の坂という名前が自然と生まれたのでしょう。

 

停車場の坂の地図

このサイトは島根県CMSで構築されています。
Copyright © 2009 Otaru CIty.