〜旧手宮鉄道施設について〜 |
旧手宮駅構内とその周辺に遺された鉄道で、機関車庫(1号、3号)、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁などから構成されています。旧手宮駅は、明治13年(1880)11月に開通した「幌内鉄道」(北海道で最初)の起点であり、石狩・空知地方からの石炭積み出しや、開拓に必要な生活物資と生産資材などの道内各地への輸送、道内各地の産物輸送にかかわる海陸交通の接点として発展を遂げました。
旧手宮鉄道施設は、日本近代史上における北海道の役割や、北海道の産業形態などを考える上で、貴重なものであるとともに、石炭とともにあった北海道の鉄道を象徴しています。また、蒸気機関車が主流であった時代の鉄道システムが残る場所として、わが国における鉄道技術の発展を示す貴重な近代化遺産です。
旧手宮駅構内とその周辺に遺された鉄道で、機関車庫(1号、3号)、転車台、貯水槽、危険品庫、擁壁などから構成されています。旧手宮駅は、明治13年(1880)11月に開通した「幌内鉄道」(北海道で最初)の起点であり、石狩・空知地方からの石炭積み出しや、開拓に必要な生活物資と生産資材などの道内各地への輸送、道内各地の産物輸送にかかわる海陸交通の接点として発展を遂げました。
旧手宮鉄道施設は、日本近代史上における北海道の役割や、北海道の産業形態などを考える上で、貴重なものであるとともに、石炭とともにあった北海道の鉄道を象徴しています。また、蒸気機関車が主流であった時代の鉄道システムが残る場所として、わが国における鉄道技術の発展を示す貴重な近代化遺産です。
機関車庫3号
明治18年(1885)しゅん工の現存するわが国最古の機関車庫。創建時は「煉化石造機関車室」。設計者は、当時の農商務省北海道事業管理局炭礦鉄道事務所鉄道科長・平井晴二郎。室内は、間仕切り壁で東側に1室、西側を車両2台分の空間に区分している。西側の室内は、中央に石造り八角形の柱を建て、小屋梁を設けている。東側の1室は機関車を吊り上げて修繕することができる構造とするために、壁厚を増し、小屋組を補強している。レンガは「フランス」積み。
転車台
機関車の方向を変えるための装置。現存してる転車台は大正8年(1919)横河橋梁製作所(東京)で製造された。長さ18.8メートル、幅3.8メートル。昭和49年(1974)3月までは手宮駅構内の貨車入れ替え作業に蒸気機関車が使用されていたため 、その頃まで現役でその役割を果たしていた。
機関車庫1号
明治41年(1908)しゅん工。しゅん工時には間口数が「5」口であったが、昭和初期「2」口に数が減る。平成8年の小樽交通記念館(平成18年3月閉館)の開館にあわせ、再びしゅん工時の「5」口に復元。レンガは「イギリス」積み。屋根は背面に下る鉄板葺き流屋根。
貯水槽
主に蒸気機関車に給水する水を貯えた施設。明治末期から大正初期頃にしゅん工したものと考えられる。かつては、転車台の西方70〜95メートルの位置にある給水器へ地中に管を敷設して送水していた。昭和49年3月までは手宮駅構内で蒸気機関車が使用されていたことから、この貯水槽も現役で使用されていた。長さ4.4メートル、ほぼ正方形のレンガ積み構造物の上部に貯水槽を載せている。内部の梁には、19世紀末製造と思われるイギリス製レールが使用されている。
危険品庫
明治31年頃に建造された石造の倉庫。塗料や油脂類など、引火性の強い物品の保管に使われていたものと思われる。幌内鉄道は、明治22年から明治39年まで北海道炭礦鉄道株式会社の経営であったが、その当時の遺構としても貴重である。
擁壁
明治45年(1912)より使用が開始された、石炭積み出しのための高架桟橋に至る線路の路盤を支えたレンガ積みの擁壁(イギリス積み)。高架桟橋線は、昭和19年(1944)に廃止されたが、およそ85メートル擁壁が現存している。石炭資源とともにあった北海道の鉄道を象徴する遺構である。
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小樽市総合博物館
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