おたる文学散歩 第1話

公開日 2020年10月21日

更新日 2021年01月14日

第1話 伍助沢分教場跡(伊藤整)(広報おたる平成18年7月号掲載)

  「そこは山の中の分教場であった。廊下を間において、向うには、大きな一室だけの教室があった。そこで授業している父の声が、廊下のこちら側の、住居まで聞こえて来る」(伊藤整「子供暦」より)

 

 作家伊藤整の最初の記憶は、この住居をかねた分教場から始まっています。塩谷村字伍助沢、そこが日露戦争の戦地から戻った整の父、昌整(しょうせい)が明治38年に教員として赴任した土地でした。ここで伊藤整は1歳から4歳まで過ごしたのです。


「静かだという点では、この徳助沢(伍助沢)以上に静かな場所は考えられない。生徒は三十人ほどで、それが一教室に入っているのだから、仕事そのものが『静か』であるかどうかは問題であるが、世離れた、うるさくない世界としては、多分ここは、五助(昌整)の気に入ったのであろう。ひっそりとした山の間なのに、そこから一時間足らず歩けば、繁華な小樽市へ出られるという便宜もまた併せ考えられる条件になったであろう」(「子供暦」より)

 

 分教場は、塩谷から小樽へ抜ける軍用道路に面していました。幼い整は、ときどき両親に連れられて、小樽の町へ行きました。「山を越えて行くと、美しい町がある、という気持が、この谷間で育つあいだの五郎(整)の夢想の源なのであった。(中略)その道は、両側の藪の繁った間を、赤土の色をはっきりと見せて、少し左右にうねりながら、日に照らされて、ずっと山を登って行っている。まことに、その山のかげには、どこか知らぬ海の向うから来た汽船が浮いていたり、塀をまわした立派な家や、赤い布のたくさんぶら下っている店や、玩具や絵本などを並べて無限に続いているような細長く奥深い勧工場(かんこうば)があったりする」(「子供暦」より)

 

 この分教場跡は塩谷4丁目、道道小樽環状線沿いに市民体験農園から200メートルほど塩谷駅寄りの道路脇にあります。


 ここに昭和54年、伊藤整の友人らにより「塩谷小学校伍助沢分教場跡」の標柱が建てられました。この標柱はその後倒れ、繁った草むらに隠れていましたが、このほど地元の伊藤整研究家、竹田保弘(たけだやすひろ)さんの手で建て直されました。

 

塩谷小学校伍助沢分教場跡

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