公開日 2020年10月22日
更新日 2021年01月14日
第10話 一原有徳さんの魅力(広報おたる平成19年4月号掲載)
現代版画家として、今も旺盛に創作を続けている一原有徳(いちはらありのり)さん。その一原さんは実験精神に富んだ俳句作家でもあり、山岳小説家でもあります。
一原さんの作品には、自伝風のエッセイ『脈・脈・脈』(平成2年 現代企画室)や、『一原有徳物語』(平成13年 北海道出版企画センター)がありますが、それらを見ると、創作活動の中で最も早く始められ、長きにわたっているのは俳句だと分かります。
徳島県に生まれ、3歳のときに北海道真狩に移住した一原さんは、小学校卒業後に、小樽へ移り、17歳のとき逓信(ていしん)省小樽地方貯金支局に入局し、以後43年勤務します。現在、市立小樽文学館、美術館が入っている小樽市分庁舎(旧貯金局)は、かつての一原さんの職場でした。
職場での同僚、上司との交流が一原さんの創作の源だったと言ってもよく、10代で始めた俳句もその人たちの勧めによるものでした。
わが下水からからに落葉ばかりぞ 九糸(九糸〈きゅうし〉は一原さんの俳号。後に九糸郎と改める)
一原さんが美術創作を始めたのは、俳句よりずっと後で、初めて油絵を描いたのが40歳になってから。また、パレット代わりに使っていた割れた石版の絵の具の模様が面白く、紙に刷りとった独自の「モノタイプ」版画を始めたのが40代後半です。著名な評論家土方定一(ひじかたていいち)の眼にとまり、国際版画展への出品、東京での個展開催と一躍内外に知られたのが50歳になってから、という異例なほどの遅いデビューだったのです。
一原さんには、優れた登山家という顔もあるのですが、勤めをおろそかにしないことを信条に、有名無名を問わず、北海道内の山々を単独で短時間で走破するというやり方でした。その登山行を題材に書いた「乙部岳」は、60歳のときに初めて書いた小説で、その年の太宰治賞の候補になる、という多彩な才能が花開いたのです。
一原さんは、至って謙虚で、知識も技術も持たない自分が、役所を首にならないように仕事の上で創意工夫を重ねてきた延長に、文学、美術の創作があっただけだと述べています。
そうして96歳になる今も、常に新しく生命力に満ちた創作を続けているのです。
ぱぴぷぺぽ山を焼く音恋の唄 九糸郎