おたる文学散歩 第12話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第12話 二人の女性詩人(広報おたる平成19年6月号掲載)

  大野百合子(おおのゆりこ)は、明治41年、余市町に生まれ、小樽の花園小学校、庁立小樽高等女学校に学びました。百合子は裁縫に優れ、後に上京して洋裁技術を学び、小樽に帰って「小樽洋服裁縫女学院」を創立しました。

 

 同じころから、詩や短歌を小樽の雑誌に発表し始めます。さらに詩人で画家の宮崎丈二(みやざきじょうじ)が東京で出していた同人誌『河』に作品を発表します。当時の同人の一人は、百合子の登場を「不意に窓から吹き込んできたような微風」と表現しました。

 

「誰もゐやしない/けれど誰かがゐる/ふかぶかと其の人の呼吸が/こんなにも間近だ/誰もゐやしない/けれどもきつと誰かだ/こんなにもやさしく/私を呼びかける」(「ある時」)

 

 百合子は結婚し、昭和12年に満州へ渡りますが、まもなく31歳の若さで亡くなります。遺稿詩集『雪は白く降りて』に、師である宮崎丈二は孔子の言葉を引用し、「思い邪(よこしま)なし」と百合子の詩と生涯を評しました。

 

 左川ちか(さがわちか)は、大野百合子の3歳年下で、やはり余市町に生まれ、庁立小樽高等女学校に学びました。幼いころから病弱でしたが鋭い感受性に恵まれ、兄の親友だった伊藤整に強い影響を受けてその後を追うように上京、日本の詩を大きく変革しようとしていたモダニズム運動の中で、抜きんでた才能を現しました。

 

「朝のバルコンから 波のやうにおしよせ/そこらぢゆうあふれてしまふ/私は山のみちで溺れさうになり/息がつまつていく度もまへのめりになるのを支へる/視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする/それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる/私は人に捨てられた」(「緑」)

 

 ちかは、昭和11年1月、わずか25年の生涯を閉じます。枕元の母、兄に遺した言葉は「みんな仲良くしてね」というものでした。『左川ちか詩集』は、三岸節子(みぎしせつこ)の美しい装画が施され、この年の11月に発行されました。西脇順三郎(にしわきじゅんざぶろう)は、「理知的に透明な気品のある思考」とその才能を惜しみました。

 

 不思議に似通った境遇の夭折(ようせつ)した2人の女性。その叙情の質はまったく対照的ですが、ともに無垢の魂を感じさせる宝石のような2冊の詩集が、小樽文学館のケースに静かに収められています。

 

大野百合子左川ちか

 

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