おたる文学散歩 第13話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第13話 岡田三郎 小説家の運命(広報おたる平成19年7月号掲載)

 

 

 「ああ潮陵に暁鐘(ぎょうしょう)は鳴る」と歌い出される小樽潮陵高校の校歌。歌詞のスケールの大きさと端正な曲が合致し、同校関係者だけでなく多くの市民に親しまれています。大正8年3月、同校前身の庁立小樽中学校の卒業式で初めて歌われました。この歌を作詞したのが、第4期生の岡田三郎でした。

 

 岡田三郎は、明治23年2月、松前町で誕生。生家の没落などで親戚を頼り来樽し、その後、小樽中学校に入学。優秀な成績で卒業しました。税務署勤務や軍隊生活を経験した後、上京し早稲田大学に入学。大正 6年に新聞懸賞小説に応募した『涯(はて)なき路(みち)』が一等当選し、文壇にデビューしました。そしてフランスへ渡り、帰国後、『コント』 (掌編小説)を日本に紹介するなど、モダンなスタイルの小説を試みます。

 

 しかし、そうしたスタイルは三郎の資質にそぐわず、自然主義の作家として知られる徳田秋声(とくだしゅうせい)の感化を受け、自らの生活に密着した私小説的作品を書き始めます。小説の中で大きな比重を占めていくのは、三郎が交際した女性たちでした。最初の結婚から3年も経たないときに旧知の女性と失踪(しっそう)し、ようやく落ちついたかに見えた3度目の結婚後も、突然、銀座で働く少女と逃避行。このように、波乱に満ちた生活のすべてが小説の素材になりました。それは、作品を書く以前に、自分の生活環境を自己流に作らずにいられないという、いわゆる「破滅型作家」の道でもありました。

 

 こうした事件は、時局をわきまえぬ軽薄な行為と新聞で批判されました。しかし、そうしたやむにやまれぬ行為から招いたことすべてを自分の運命と受け入れた作品『秋・冬』などが、伊藤整らに深い感銘を与えました。最後の妻に先立たれ、幼い遺児を抱えて終戦前後の苦しい日々を送った三郎は、昭和29年、64歳でこの世を去りました。

 

 私小説の数々の名作を残しながら「忘れられた作家」となった岡田三郎。しかし、その若い日のはつらつとした感性は、今も潮陵高校の校歌として小樽の人々に愛され続けているのです。

 

潮陵高校敷地内にある校歌歌碑  岡田三郎

 

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