おたる文学散歩 第14話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第14話  不思議な因果 金児杜鵑花句碑と観音像(広報おたる平成19年8月号掲載)

   オタルナイ湖(朝里ダム)第一展望台、ダム湖を一望できる眺めのよい場所に、金児杜鵑花(かねことけんか)の句碑が建っています。

 

 み仏ほとけに/滝のしぶきや/百ゆ合りの花

 

 金児杜鵑花は、明治27年3月、余市町に生まれました。堺小学校教師などを務めた後に上京し、出版社の新潮社に勤務。やがて独立して素人社(そじんしゃ)を設立しました。少年時代より俳句に親しみ、昭和 9年には大衆俳句雑誌『俳句世界』を創刊します。

 

 実は、この金児杜鵑花句碑は、現在と別の場所に建立されていました。それがやや不思議な経緯もあって二転三転し、現在の場所に建て替えられたものです。

 

 昭和10年8月16日、俳句世界小樽支部によって、朝里川上流の魚留(うおどめ)の滝を正面に見るような位置に建立されました。そしてその脇には、二体の観音像が安置されていたそうです。杜鵑花はその場所を踏まえて、「み仏に滝のしぶきや百合の花」と詠(よ)んだのです。

 

 その観音像は、小樽・定山渓間の自動車道路が開通したとき、その工事を請け負った建設会社の社主が、感謝と将来の発展の祈りを込めて建立したものでした。しかし、小樽第一の滝で隠れた名所である魚留の滝には、訪れる人は少なく、観音像もいつしか壊れたままに放置されていました。

 

 戦後、朝里川近辺の試掘を行っていたころのことでした。一人の関係者が、二つに割れた観音像から湯が湧き出ている夢を見て、その情景をたどったところ、魚留の滝に放置される像に出会ったそうです。こうして観音像は朝里川温泉元湯付近に移され、金児杜鵑花句碑も移されました。

 

 その後、移されたところの温泉ホテルが焼失。再び観音像と句碑は半ば放置状態になっていました。しかし平成6年、観音像が定山渓岩戸(いわと)観音に合祀(ごうし)され、残された句碑はオタルナイ湖を望む展望台に移されることになりました。

 

 金児は、俳人として以上に、俳句雑誌の出版だけでなく、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)・室生犀星(むろうさいせい)らの優れた著書を送り出した良心的な出版業者として、昭和文学史に特筆される有名な存在となっています。

 

朝里ダム湖畔園地第1展望台にある金児杜鵑花句碑

 

  

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