おたる文学散歩 第15話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第15話  小樽と流行歌(広報おたる平成19年9月号掲載)

   

 今からちょうど百年前に小樽にできた新聞社「小樽日報社」で石川啄木(いしかわたくぼく)と机を並べていた野口雨情(のぐちうじょう)。その野口が詩を書き、中山晋平(なかやましんぺい)が作曲して、大正10年に発表された「船頭小唄」は、日本の流行歌の先駆けとなりました。

 

 小樽を歌った昭和の流行歌で初期のものには、昭和6年に開催された海港博覧会のときの「小樽小唄」があります。歌ったのは、後に「ブルースの女王」といわれた淡谷(あわや)のり子でした。

 

 小樽は、戦前戦後、流行歌の名歌手を輩出しました。その一人である小林 千代子(こばやしちよこ)は、昭和 7年に「涙の渡り鳥」が大ヒット。戦後はクラシックに転向し、小林 伸江(こばやしのぶえ)と改名して自ら歌劇団を結成するなど、国際的にも活躍しました。

 

 また松原操(まつばらみさお)は、昭和 8年、ミス・コロムビアとしてデビュー。「十九の春」「並木の雨」などがヒットしました。そして昭和13年、川口松太郎(かわぐちまつたろう)原作「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を後に夫となる霧島昇(きりしまのぼる)とデュエット。この歌は、空前の大ヒットとなりました。

 

 戦後、「白い花の咲く頃」「あこがれの郵便馬車」「高原列車は行く」などの、叙情的で明るい歌をヒットさせた岡本敦郎(おかもとあつお)。その父は、小樽の市立高等女学校の校長を務めていました。

 

 また、作詞者として知られたのは、「カスバの女」「銀座の恋の物語」の大高(おおたか)ひさをです。平成2年には数寄屋橋公園に、「銀座の恋の物語」の歌碑が建立されました。

 

 小樽市内に歌碑が建った「石狩挽歌」。この歌の作詞者で直木賞作家でもある、なかにし礼も小樽にゆかりが深く、自伝的にその時代を描いた作品に「兄弟」があります。

 

 小樽を描いた歌詞の歌には、昭和42年の「小樽のひとよ」を筆頭に、「小樽運河」「おれの小樽」などがあり、次々とヒットしました。

 

 歌謡曲の歌手ではありませんが、異色の流行歌手を紹介しましょう。昭和4年小樽生まれ。本名を梅木美代志(うめきみよし)。戦後、ナンシー梅木の名で、女性ジャズシンガーの草分けとして活躍しました。昭和30年に渡米し、昭和32年、アメリカ映画「サヨナラ」に出演し、日本人として初のアカデミー助演女優賞を獲得しまし た。

昭和歌謡全集小樽編

協力:市立小樽文学館

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