おたる文学散歩 第16話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第16話  小樽と流行歌(広報おたる平成19年10月号掲載)   

 『私がそういう相談(文芸誌の発行)をしに河原直一郎(かわはらなおいちろう)に越路で逢(あ)っていた頃(ころ)、小林多喜二がしばしばこの越路の二階の喫茶店に来ていた。その時彼はたいてい三四人の仲間らしい男とそこで逢っていたが、それがどういう仲間であるか、私には見当つかなかった』(伊藤整「若い詩人の肖像」より)

 

 客にコーヒーを提供する、いわゆる喫茶店が札幌に登場したのは大正末ごろですが、昭和3年、北2条西3丁目に開店した「ネヴォ」が喫茶店らしい喫茶店の第1号といわれています。その名からしのばれるように、ここは前衛的な美術家や詩人などのたまり場で、"知識人と労働者がコーヒーを挟んで議論する"というそれまであり得なかった空間でした。また、小林多喜二も頻繁に出入りし、多喜二の色紙が長く店に飾られてたそうです。

 

 ほとんど間を置かず、小樽にも次々と喫茶店が開店。小樽においても喫茶店は、画家や文学者、そのほかの知識人、さらには学生やサラリーマンらの気が置けない交流の場となっていました。なお、この時期に知られる喫茶店として、小林多喜二や伊藤整が思想研究、あるいは文学仲間の会合に使った「越治」(伊藤整の「越路」という表記は記憶違いと思われる)や「カール」があります。

 

 画家国松登(くにまつのぼる)氏が電気館通り「夢」のマスターになったのは昭和6年。その2階が「裸童社(らどうしゃ)洋画研究所」でした。裸童社創設者の一人であり詩人でもあった氏こそ、典型的な「喫茶店芸術家」であったといってもいいでしょう。小樽文学館内には、この喫茶店「夢」を復原したコーナーがあります。

 

 また並木凡平に師事した口語歌人和田義雄(わだよしお)氏が花園町松竹座前に「茶房・銀と金」を開いたのは昭和12年。氏はその後、児童文学者として活動しながら、長く喫茶店経営にもかかわり、『札幌喫茶界昭和史』などの名著を残しました。

 

 世情に翻ほん弄ろうされた時期はあるものの、喫茶店は、庶民が友人同士や一人でもくつろげる、市井における数少ない空間でした。また時の流れそのものを味わいながら、芸術や社会について会話を重ねることのできる場でもありました。

 

文学館内にある喫茶店「夢」の雰囲気を  再現したコーナー   本間聖丈が描いた昭和6年ごろの「夢」の絵

文学館内にある喫茶店「夢」の雰囲気を再現したコーナー   本間聖丈が描いた昭和6年ごろの「夢」の絵

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