おたる文学散歩 第19話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第19話  小樽高商時代の小林多喜二と初期作品(広報おたる平成20年1月号掲載)

   

 小林多喜二が小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学したのは、大正10年4月のことです。庁立小樽商業学校時代から、詩や短歌、小品を書いて校友会誌などに発表していた多喜二は入学後、本格的に小説を書き始め、学内の雑誌ばかりではなく中央で発行されていた『小説倶楽部』『文章倶楽部』『新興文学』といった商業雑誌に積極的に投稿します。明治から大正期にかけて盛んに発行されたこれら商業雑誌への投稿は、このころやや下火になってはいたものの、地方に住む文学青年たちの数少ない文壇への足掛かりに変わりはありませんでした。

 

 多喜二は特に『小説倶楽部』には何編も投稿を重ね、入選こそ果たせなかったものの、数編が選外佳作に選ばれ、そのうち「龍介と乞食(こじき)」という作品が大正11年 3月号に本文も掲載されました。

 

 この作品は長い間、多喜二の商業雑誌に発表された最初の作品とされていました。しかし最近になって、これよりも早く、同じ『小説倶楽部』の大正10年10月号に「老いた体操教師」という作品が掲載されていることが分かりました。残っている雑誌そのものが少なく、いわば86年目の発見でした。

 

 「老いた体操教師」は、小樽商業で実際に起こった校長排斥事件をモデルとし、この事件の巻き添えとなった体操教師の悲哀を、ユーモアを交え温かく描いたもの。多喜二はすでに17歳とは思えない筆力を見せています。

 

 小樽高商で多喜二の1学年後輩だった伊藤整は、自伝的小説『若い詩人の肖像』の中で、小樽高商の図書館でしばしば見掛けた多喜二についてこう書いています。

 

『あいつが読んだ後では、私は自分の読んでいる本の本当の中身がもう抜き去られているような気がした』

 

 多喜二が特に志賀直哉に傾倒し、その文学を徹底的に学び始めたのもこのころでした。

 

小樽高商時代の小林多喜二

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