公開日 2020年10月22日
更新日 2021年01月14日
第23話 宮沢賢治の「復命書」(広報おたる平成20年6月号掲載)
詩や童話「銀河鉄道の夜」などで名高い宮沢賢治は、大正13年5月、花巻(はなまき)農学校の生徒26人を引率して、北海道へ修学旅行を行いました。その際に小樽へ立ち寄り、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)などを見学しています。
修学旅行から帰って学校に提出した自筆の「復命書」が今も残っており、それを見ると賢治が見た84年前の小樽の様子が伝わってきます。
復命書の表紙には「大正十三年自五月十九日至五月廿三(にじゅうさん)日 修学旅行復命書 統導者 宮沢賢治」と記されています。表紙をめくるといきなり「小樽市」と始まり、行を改め「午前九時小樽駅に着、直ちに丘上の高等商業学校を参観す。案内に依(よ)りて各室を順覧せり」と続きます。ちなみにこのとき、小林多喜二は 3月に小樽高商を卒業した直後で、伊藤整は3年在学中。もしかすると、生徒たちを引率する宮沢賢治と伊藤整が校内ですれ違ったかもしれません。
「取引実習室の諸会社銀行税関等の各金網を繞(めぐ)らせる小模型中に於(おけ)る模擬紙幣による取引など農事実習と対照して甚(はなはだ)生徒の興味を喚起せり。商品標本室にては......独乙(ドイツ)の馬鈴薯(ばれいしょ)を原料とせる三十余種の商品標本、米国の各種穀物を炙熬(しゃごう)膨張せしめたる食品等に就(つい)て注意せしむ」
このような記述に寒冷地における農産業の改良に心を砕いていた賢治の関心事がよく分かります。
この後、「十時半同校を辞(じ)し丘伝(つた)ひに小樽公園に赴く」。復命書は一転して初夏の光があふれたような光景を描き出します。
「公園は新装の白樺に飾られ北日本海の空青と海光とに対し小樽湾は一望の下に帰す」。その港内には一隻の駆逐艦と二隻の潜水艇が停泊し、公園にいた人たちが指差して嘆声を上げていると続けています。また「大なる赤き蟹(かに)をゆでて販(う)るものあり、青き新しきバナナを呼び来るあり」「生徒等バナナの価(あたい)郷里の半(なかば)にも至らざるを以(もっ)て土産(みやげ)に買はんなど云(い)ふ」。そして「零時半小樽市一瞥(いちべつ)を了(おわ)り再び汽車に上る」。
文字どおり「一瞥」に等しい短い小樽滞在でしたが、「復命書」は大正13年初夏の小樽を、詩人の眼で鮮やかに切り取ったようでした。
※宮沢賢治の写真は林風舎からの提供です