公開日 2020年10月22日
更新日 2021年01月14日
第28話 友情と恋愛-伊藤整詩集「雪明りの路」の世界(広報おたる平成22年2月号掲載)
大正15年12月1日に刊行された伊藤整の第一詩集『雪明りの路(みち)』。その中に収められた詩の多くは、通学列車の中で知り合った少女たちへの思いや恋愛、別れから生まれたものでした。
大正11年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学した整は、塩谷から列車で通う車中で小樽の女学校に通う学生たちと知り合います。その中の一人で忍路から通う女性を、図書館で見た西洋画になぞらえ「白衣の女」と呼びました。
「忍路は蘭島から峠を越したところ/僕の村からも帆走(はんそう)出来るところ。/そこに頬のあはい まなざしの佳(よ)い人があつて/浜風のなでしこのやうであつたが。」(伊藤整「忍路」より)
しかし実際に交際したのは、余市に住む女学生でした。整は愛読していた詩集に手紙を挟み、それを彼女の妹に貸すようにして文通を始めたのです。二人は手宮公園から港を望みながら語り合い、余市のリンゴ園で美しい月を眺めました。
「私は此処(ここ)でなにもかも忘れるところだつた。/そのひとは 月光の降るなかを 息づかしく微笑(ほほえ)んで歩き/わたしの話に聞き入つてゐた」(伊藤整「林檎(りんご)園の月」より)
また通学列車の中では、生涯の親友とも巡り合いました。余市から小樽の貯金局に通勤していた川崎昇(かわさき のぼる)です。彼はつるのこわれた鉄縁(てつぶち)の眼鏡をかけ、身なりにも構わない感じの青年でした。しかし、いたわり深いその人間的魅力にすっかり引き付けられた整は、詩集についても彼だけには率直に相談し、助言を求めたのです。詩集の題名も、彼の助言により決められたものでした。
「みんなぼくは何をして暮らしてゐると思ふだらう。緑は濃くなるのに。読んだうちで君の考(かんがえ)をきかしてくれ。たつた一人の読者の君の ひとし のぼる様 一九二六・六・二八」(文学館所蔵・伊藤整書簡より)
大正14年に高商を卒業した整は、小樽市中学校(現長橋中学校)の英語教師となります。日中は教壇に立ち、夜はほかの教員の分まで当直を引き受け泊まり込み、集中して執筆したのが、『雪明りの路』でした。なお文学館には、当時の様子が伺える『当直通知簿』が保存されています。
(参考 曾根博義『伝記 伊藤整』六興出版)
文学館に保存されている当直通知簿。当番日以外にも
当直を引き受け、準備に集中していたことが伺えます。