おたる文学散歩 第34話

公開日 2020年10月22日

更新日 2021年01月14日

第34話 夭折の天才詩人 左川ちか(広報おたる平成25年10月号掲載)

 

 左川ちか(本名川崎愛(ちか))は、明治44(1911)年、余市町に生れました。幼いときから病弱でしたが、感受性が鋭く想像力豊かな少女で、見た夢を友人に物語のように語りました。

 

 「目が覚めてもそれらの幻覚を失ひたくないと大切らしく数へるやうにしてしまつておいて顔を洗つたり、髪を結んだりしてをりました。私の話といへば夢で見たことばかりなので、その頃、私の友達がまた夢のことなのねと云つては笑ひました」(左川ちか『童話風な』より)

 

 学業にも優れたちかは、庁立小樽高等女学校に進学し、余市から通う通学列車で兄・川崎昇の親友だった伊藤整と知り会います。

 

 「川崎昇の妹の愛子(ちか)は、その年十七歳で女学校の四年生になっていた。(中略)私が村の家へ帰る用があって駅にいる時、また帰りに朝の汽車で小樽駅に下りる時、この少女は私を見つけると、十三歳の頃と同じような無邪気な態度で私のそばに寄って来た。私もまたこの女学生を自分の妹のように扱った」(伊藤整『若い詩人の肖像』より)

 

 女学校卒業後の昭和3(1928)年に上京したちかは、先に東京へ行っていた兄の昇と伊藤整を通じ、東京の詩人や作家との交流を始めます。すぐに自身も詩を書き始めると、一気にその才能が開花。優れた詩を多数発表します。特に詩人の北園克衛は、ちかの最も良き理解者となりました。

 

 ちかの詩は、当時のモダニズムと伊藤整らが紹介したヨーロッパ最先端の文学から影響を受けた、知的で硬質な印象を与えるものでしたが、その奥には、故郷である余市の緑豊かな自然が息づいていました。

 

 「毎日朝から洪水のやうに緑がおしよせて来てバルコンにあふれる。海のあをさと草の匂をはこんで息づまるやうだ。風が葉裏を返して走るたびに波のやうにざわめく」(左川ちか『暗い夏』より)

 

 その詩は、短い生命の予感をはらんでもいました。昭和10年秋、重い病気にかかったちかは翌11年1月7日、「みんな、仲良くしてね」と言い残し25歳に満たない人生を閉じます。しかし、この年の11月、昭森社より『左川ちか詩集』が刊行。時代を超えた独創的でイメージ豊かな作品は、多くの詩人や若い読者に強い印象と影響を与え続けており、左川ちかへの関心は、現在もますます高まりを見せています。

 
左川ちか左川ちか展

写真左 左川ちか(世田谷の自宅にて)

写真右 平成25年9月6日から11月4日に市立小樽文学館で開催の「左川ちか展」の様子

お問い合わせ

総務部 広報広聴課
住所:〒047-8660 小樽市花園2丁目12番1号
TEL:0134-32-4111内線223・394
FAX:0134-27-4331
このページの
先頭へ戻る