公開日 2020年10月22日
更新日 2021年01月14日
第36話 夜更かしする文学青年の時代(広報おたる平成27年12月号掲載)
日本最初の電灯がともされたのは東京工部大学校で公開実験が行われた明治11(1879)年のことです。小樽に初めて電灯がともったのは明治28年で、この年の小樽の戸数は9571戸(人口は4万6982人)でしたが、そのうち電灯を引いた家はわずか300戸に過ぎませんでした。
最初期の電灯(複製)
ところが明治30年代に入ると普及率が飛躍的に高まります。月額2円50銭と庶民には高額だった料金も、明治末頃には水力発電所の開発によって半額程度となり、さらに普及が進みました。
大正に入り、炭素電球がタングステン電球に変わって消費電力が少なくなると、電灯料金はさらに4分の1以下に下がり、一気に庶民の生活を変えていきました。
当時、一般家庭の室内の照度がどの程度変化したのか正確な記録はありませんが、明治45年2月に初めて自宅に電灯をつけた稲穂尋常高等小学校長稲垣益穂氏の『日誌』によると「従来用ヒ来タリシランプ二個ヲ点シタル程ノ光力ナリ」とあり、その2日後には「二三日間電灯ニ慣レタル結果、ランプノ光力ハ非常ニ薄ク感ジタリ」とあります。
伊藤整は、庁立小樽中学校3年生だった大正10(1922)年2月、『校友会雑誌』に「荒れた晩に」という作文を載せています。
伊藤整(大正11年ごろ)
「電燈は付いたり消えたりして当にならなかつた。母は物置からを出して使ひ残しのあるのを電燈と並べて下げた。その赤暗い灯が室の中央丈をほんのり古めかしく照し出した。時時思ひ出した様に電気がパッときて明るく輝いたが二三度瞬いては消えて薄暗い洋燈の灯だけが残つた」
明るいけれどまだ不安定だった電灯と、洋燈(ランプ)の薄暗さが印象的です。
小林多喜二(大正10年ごろ)
また、大正9年、庁立小樽商業学校3年生だった小林多喜二は、ノートに次のように書いています。
「夜廻りの鐘をききつつ永の夜を過せり。(中略)夜廻りの鐘に驚きペン置けば火鉢に残りし淡き火悲しも一つひとつ淡くなり行く電燈を数えるが淋しこの頃のわれ」
電灯の普及とともに生活環境が大きく変わり、読書や文芸に夢中になる青年たちにとって、「夜更かし」が当たり前になる時代が始まっていたことが分かります。