公開日 2020年10月09日
更新日 2021年12月22日
ストーリーの概要
明治の初めに命名された広大無辺の大地「北海道」。その美しくも厳しい自然の中で、「石炭」・「鉄鋼」・「港湾」とそれらを繋ぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた北の産業革命「炭鉄港」は、北海道の発展に大きく貢献してきました。当時の繁栄の足跡は、空知の炭鉱遺産、室蘭の工場景観、小樽の港湾そして各地の鉄道施設など、見る者を圧倒する本物の産業景観として今でも数多く残っています。その後の北海道の急成長と衰退、そして新たなチャレンジを描くダイナミックな物語は、これまでにない北海道の新しい魅力として、訪れる人に深い感慨と新たな価値観をもたらします。
小樽市の構成文化財
小樽港北防波堤(小樽市高島)
100年以上荒波に耐える防波堤
明治41(1908)年、小樽築港事務所所長の廣井勇により、わが国初の本格的港湾整備として建設。100年以上を経過した現在も、「第一線防波堤」としてその機能を果たしている。
北炭ローダー基礎(手宮1-4-1付近)
小樽港に唯一現存する石炭積み出しの痕跡
石炭積み出し施設として明治から稼働してきた手宮地区に残される大型のベルトコンベア「石炭ローダー」の基部。昭和14(1939)年建設。現存する唯一の石炭積み出しの遺構。
色内銀行街(旧三井物産及び旧三菱商事小樽支店、色内1-9-1、色内1-1-12)
石炭を扱った当時の栄華を今に伝える銀行街
「北日本随一の経済都市」と言われた昭和初期の小樽を象徴する色内銀行街には、石炭経営を行う財閥系の商社も進出していた。(三井物産:昭和12(1937)年/三菱商事:大正11(1922)年)
- 小樽港北防波堤
- 北炭ローダー基礎
- 色内銀行街(旧三井物産及び旧三菱商事小樽支店)
手宮線跡及び附属施設(色内1-9-5付近)
北海道最初の鉄道
明治15(1882)年に全線開通した官営幌内鉄道は、空知の石炭を運び、日本の近代化を支えた。国有化後に南小樽ー手宮間は手宮線に分離し、軌道敷地がほぼ原形通り残されている。
旧手宮鉄道施設(機関車庫三号)(小樽市手宮)
石炭輸送の起点となった鉄道施設群
官営幌内鉄道時代から、鉄道輸送の中心として活躍した手宮にのこされた鉄道施設。機関車庫三号は明治18(1885)年竣工の現存最古の機関車庫。現在も蒸気機関車が運行している。(国重要文化財)
小樽中央市場(稲穂3-11-2)
「ガンガン部隊」の出発地
終戦後、生活物資は多くの行商の人々によって運ばれた。空知地区には、小樽からの通称「ガンガン部隊」が鮮魚などをもたらした。中央市場はその主要な供給基地となった。
- 手宮線跡及び附属施設
- 旧手宮鉄道施設(機関車庫三号)
- 小樽中央市場