おたる坂まち散歩 なべこわしの坂 後編 馬頭観音

公開日 2020年10月27日

更新日 2021年01月14日

おたる坂まち散歩

なべこわしの坂

 朝里川温泉の文治沢(ぶんじさわ)バス停そばの交差点から望洋台に続いている「なべこわしの坂」。坂を上っていくと、右手に観昌寺があります。寺院入り口のお堂には、三体の馬頭観音が祭られています。
 この坂の名前は、馬の背に積んでいたなべをこわしてしまった故事に由来します。馬頭観音と、この馬とはなにか関係があるのでしょうか。
 朝里村大字熊碓村字文治沢と呼ばれたこの地域に、農家の入植が始まったのは、明治の中ごろでした。昭和初期になると、農家の数は50世帯ほどになりました。しかし、電気は通じておらず、夜になるとランプをともし、ちょうちんを提げて夜道を歩くという生活でした。
 開拓生活には農耕馬は欠かせませんでした。荒れ地の開墾や作物の運搬は、馬の力がなければ不可能だったのです。そこで、農家はみな一頭ずつ馬を飼い、大切にしていました。
 この地域では、豊富にあった雑木を原料にした炭焼きも盛んでした。木炭は、当時の家庭の主要な燃料で、良い現金収入にもなったのです。
 炭焼きは、山の中に、粘土で炭窯を築くことから始まります。原料の雑木と、炭の運搬には、農家で使われた馬とは異なり、ドサンコが使われました。ドサンコは、体が小さくても力があり、急で狭い山道にも適していました。
 炭を運ぶときは、ドサンコ1頭に2俵ずつ炭を背負わせ、しっぽと手綱をつなげることで、10頭以上を一列にして運びました。
 このように、馬と共に暮らした文治沢の人々は馬に対する深い感謝の思いを持っていました。有志の声がけにより、昭和5年ごろに三面八臂(はっぴ)の馬頭観音像が、現在の望洋台中学校から豊倉小学校へ行く途中にあるグラウンドの近くに建立され、その後、2体が加わりました。馬頭観音は、文治沢バス停のそばなどに移転された後、昭和60年5月に、現在の観昌寺のお堂に安置されました。
 馬頭観音は、もともと古代インドではハヤグリーヴァと呼ばれ、馬だけではなく、広く動物を守護する神でした。3体の馬頭観音像は、いまではこの地域から姿を消した馬に代わって人々の愛するペットを守護するように、亡くなった犬や猫などの写真や、季節の花に囲まれて立っています。

 

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