公開日 2020年11月13日
更新日 2021年11月23日
- 一原有徳記念ホールの様子
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一原有徳記念ホールで開催中の展示はこちらからご覧ください
一原有徳(1910-2010)
“現代版画の鬼才”一原有徳
一原有徳は、1910(明治43)年徳島県に生まれ、幼少時に小樽に移住してから長く小樽を拠点に活動を続けた版画家で、国内のみならず海外でも高い評価を受けています。
また、版画家以外に登山家や俳人としても多くの足跡を残しています。
若い頃から美術に関心があった一原有徳ですが、当時は画材を購入する経済的余裕がなかったため制作活動はできず、職場(小樽地方貯金局)の先輩である須田三代治の影響で札幌や小樽の展覧会を鑑賞するにとどまっていました。
戦後、須田三代治から油絵道具を贈られ油彩を始めた一原有徳は、油彩制作6年目のある日、パレット代わりに利用していた石版の上に偶然に残った図像に強くひかれ、その転写を試みます。
そこから、石版にインクを平たく一様に塗り、その表面を自在に引っかき削り取っていく方法を追求した結果、これまで誰も見いだしたことのない冷たいメカニックな質感と暗闇に満ちた世界が現れましたが、このモノタイプが他の美術家たちの注目を集めるところとなり、50歳の異色版画家としてデビューすることになりました。
遅咲きのデビューに加え、登山中の遭難事故やプレス機に指をはさむ事故などにも見舞われた一原有徳でしたがその制作意欲は衰えるところを知らず、高齢となってからも独創的な腐食版・紙以外の版画・オブジェなど新しい表現に次々と挑戦しましたが、2010(平成22)年10月、100歳の生涯を閉じました。
市立小樽美術館では一原有徳の作品を多数収蔵しており、その常設展示が大きな課題となっていましたが、2010(平成22)年度実施の再整備事業において「一原有徳記念ホール」を開設することを決定し、2011(平成23)年4月にオープンしました。
残念ながら主人公の一原有徳が当ホールのオープンをみることはかないませんでしたが、作品展示に加えてアトリエの一部を再現したコーナーや作品制作過程を視聴できるコーナーも設けておりますので、ぜひご観覧いただき、一原有徳の世界を体感していただければ幸いです。
▲《ZON》1982(昭和57)年
▲《RML(c)》1974(昭和49)年+1982(昭和57)年
一原有徳略年譜
年 | 出来事 |
---|---|
1910(明治43)年 | 8月23日、徳島県那賀郡平島村(現・阿南市)に生まれる。 |
1913(大正2)年 | 北海道虻田郡真狩村に、家族とともに移住。 |
1923(大正12)年 | 真狩尋常小学校卒業後、父母妹とともに小樽に移住。北海道逓信社に入社。 |
この頃中江吉雄(筆名良夫、後の劇作家)と出会い、生涯の友情を結ぶ。 | |
小樽高等実修商科学校(夜間)に、中江とともに約5年間修学。 | |
1927(昭和2)年 | 郵政省小樽地方貯金局に少年事務員として入局。以後43年間勤務。 |
1931(昭和6)年 | 勤務先の休暇を利用して登山を始める。 |
1940(昭和15)年 | 8月、橋本貴久江と結婚。 |
1941(昭和16)年 | 9月、長男、正明誕生。 |
1944(昭和19)年 | 6月、札幌月寒の大隊砲小隊に入隊。1か月余りの軍事訓練の後、日高胆振沿岸の築地の稔部隊に編成替される。 |
1945(昭和20)年 | 3月、広島市宇品の陸軍船舶輸送指令部、暁部隊の暗号教育部隊に転属。 |
1か月後、小樽の第五船舶輸送指令部暗号班に配属され、9月除隊。世にいう「ポツダム上等兵」。 | |
8月、妻貴久江死去。 | |
1948(昭和23)年 | 7月、寺中マツエと再婚。 |
1951(昭和26)年 | 裸童社に学んだ画家、須田三代治(小樽地方貯金局勤務)に指導を受ける。市展入展。 |
1957(昭和32)年 | この頃より石版モノタイプを始める。 |
1958(昭和33)年 | 年賀状にモノタイプを使用、これを認めた国松登の薦めで国画会展に出品、初入選する。 |
プレス機を購入し本格的に制作を始める。 | |
1959(昭和34)年 | 6月、北海道版画協会の結成に参加。 |
1960(昭和35)年 | 朝日選抜秀作展に選定出品される。全道展会友推薦。 |
1961(昭和36)年 | 「現代日本の版画展」出品。全道展会員推薦。 |
1962(昭和37)年 | 東京国際版画ビエンナーレに招待出品。 |
1970(昭和45)年 | 郵政省小樽地方貯金局を定年退職する。職場のロビー、廊下を利用し、退職記念展開催。 |
文芸同人誌「楡」に創作「乙部岳」を発表し、同年の太宰治賞候補となる。添削して、翌年の「北方文芸」1月号に再発表する。 | |
1971(昭和46)年 | 夕張山脈峰に登った後、下山中にスキーが脱落して骨折、遭難。救出され入院したが手術の失敗で再入院、後遺症のため、以後3年間に3度の手術を受ける。 |
1972(昭和47)年 | 登山事故の影響により、一切の展覧会出品なし。 |
1978(昭和53)年 | 第1回北海道現代美術展。 |
1979(昭和54)年 | 北海道現代美術展優秀賞受賞。 |
1980(昭和55)年 | 小樽市教育文化功労者に選ばれる。 |
1981(昭和56)年 | 北海道現代美術展に選定出品、北海道立近代美術館賞受賞。 |
小樽市功労者(教育文化)として表彰される。 | |
1984(昭和59)年 | 小樽公園と銭函駅前広場のモニュメントを制作する。 |
1985(昭和60)年 | 和歌山版画ビエンナーレ展(和歌山県立美術館)に出品、佳作賞受賞。 |
1987(昭和62)年 | 8月、プレス機を使っての制作中に左手を巻き込まれ、左中指の先を失う。 |
「一原有徳展」(市立小樽美術館)開催。 | |
1988(昭和63)年 | 「現代版画の鬼才・一原有徳展」(神奈川県立近代美術館)開催。 |
1989(平成1)年 | 「一原有徳・博物誌的版の世界」(GALLERYSANYO)開催。 |
作品集「ICHIHARA」(正木基編集)が現代企画室より刊行される。 | |
1990(平成2)年 | 北海道文化賞受賞。 |
1992(平成4)年 | 「コミュニケーションワールド'92北海道2000(コム博)」に出品。 |
映画「アンモナイトのささやきを聞いた」(山田勇男監督)に出演。 | |
1993(平成5)年 | 「一原有徳展」(カリフォルニア州トライトン美術館)開催。 |
1994(平成6)年 | 恵比寿ガーデンプレイスタワー(東京)1階エントランスロビー壁レリーフを制作。 |
真狩村開基100年記念モニュメント<翔>を設置。 | |
1995(平成7)年 | 小樽市民センター正面玄関壁レリーフを制作。 |
8月から9月の間、大腸がんのため入院。 | |
1996(平成8)年 | 地域文化功労者の文部大臣表彰に選ばれる。 |
1998(平成10)年 | 「一原有徳・版の世界生成するマチエール展」(徳島県立近代美術館・北海道立近代美術館)開催。 |
「土曜美の朝―版にならないモノはない―版画家一原有徳」(NHK札幌放送局制作)に出演。 | |
2001(平成13)年 | 2月から4月の間、心筋梗塞のため入院するが間もなく退院し、小樽市の自宅で制作を再開する。 |
「一原有徳/新世紀へ」(市立小樽美術館・市立小樽文学館)開催。 | |
札幌ドームにステンレス作品を制作。 | |
2009(平成21)年 | 北海道版画協会創立50周年記念展(北海道立近代美術館)に出品。 |
2010(平成22)年 | 「一原有徳・版の冒険」(光岡幸治著)がミュージアム新書より刊行される。 |
10月1日、100歳で逝去。 | |
2011(平成23)年 | 4月、市立小樽美術館3階に「一原有徳記念ホール」が開設。 |