公開日 2020年11月13日
更新日 2021年11月23日
- 中村善策記念ホールの様子
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中村善策(1901-1983)
鮮やかな描写で自然の息吹をつたえる—―
日本を代表する風景画家中村善策は、明治34年小樽区花園町に生まれています。14歳で小樽洋画研究所に学んだのち本格的に画家への道を志して上京、以後二科展、一水会、日展を発表の場として豊かな色彩と緊密な画面構成により自然の風光を追求し、昭和58年4月27日81歳で世を去りました。
自然の中に身をおくことから風景との対峙が始まるとした中村善策は、小樽や疎開先であった信州を多く描いていますが、殊に生まれ故郷小樽には深い愛着を示し、「小樽は日本有数の画因を蔵している」と語っています。海、運河、港と起伏に富んだ地形に点在する家並という景観をもつ小樽が、風景画家を育むような環境であるならば、中村善策は文字どおり小樽が生んだ画家と言っても過言ではないでしょう。
没後、昭和58年8月中村家より油彩画39点はじめ関係資料が寄贈されました。翌年美術館にて特別展「風と光と彩り中村善策展」を開催。また常設展示ではコーナーを設けて紹介してきましたが、より多くの作品を常に観覧できるようにとの市民の希望により、当時美術館の設置されていた小樽市分庁舎の一階部分を改装し、中村善策記念ホールとして昭和63年10月10日オープンしました。
▲《小樽港》1963(昭和38)年
▲《海港の秋》1959(昭和34)年
年 | 出来事 |
---|---|
1901(明治34)年 | 12月29日小樽区花園町18番地(現・花園1丁目6番地)に生まれる。 |
1905(明治38)年 | このころ次兄安吉に伴われ小樽公園にて写生をする。 |
1908(明治41)年 | 小樽区花園小学校入学。 |
1915(大正04)年 | 小樽区堺小学校高等科卒業。小樽実業補習学校に学ぶ。 |
1916(大正05)年 | 西谷海運入社。小樽洋画研究所に学ぶ。三浦鮮治、兼平英示、谷吉二郎、中野五一らと知り合う。 |
1918(大正07)年 | 第1回小樽洋画研究所展に「曲馬場の一部」(水彩)他を出品、以後出品。神戸に転勤、神戸YMCA外国語学校英語科入学。 |
1922(大正11)年 | 帰樽、小樽洋画研究所にて猛勉強する。 |
1923(大正12)年 | 三浦鮮治、兼平英示らとともに太地社(小樽)を結成する。 |
1924(大正13)年 | 上京、川端画学校に通う。第5回中央美術展に「本所馬洗関枠」他出品、初入選。 |
1925(大正14)年 | 第12回二科展に「風景」を出品、初入選。以後昭和11年まで毎回出品。北海道美術協会創立会員となる。第1回展に「石山風景」他を出品。 |
1926(大正15)年 | 第7回中央美術展に「森と港」(ブロックス賞)他を出品。第1回太地社展(小樽)に「森と港」他を出品。 |
1928(昭和03)年 | 木下舞子と結婚。小樽で初個展開催。 |
1930(昭和05)年 | 前年上京、新美術家協会に入会、以後出品。 |
1931(昭和06)年 | 北海道美術家連盟会友となる。第1回北海道美術家連盟展に「野薔薇」他を出品。 |
1936(昭和11)年 | 北方美術協会(小樽)会員となる。第1回北方美術展に出品。第23回二科展に「濁航船」他を出品、二科特待賞を受ける。 |
1937(昭和12)年 | 第1回一水会展に「けむり」他を出品、会員に推挙される。以後毎回出品。「けむり」が昭和洋画奨励賞を受ける。 |
1940(昭和15)年 | 紀元2600年奉祝美術展に「落葉松の道」を出品。 |
1941(昭和16)年 | 第4回文展に「豊穣」を出品(無鑑査)。昭和19年にも出品。 |
1945(昭和20)年 | 信州明科に疎開する。以後4年間半余、信州で生活する。空襲により二科展時代からの作品200余点を焼失。 |
1946(昭和21)年 | 第8回一水会展に「小樽港」を出品、委員となる。第一回日展に「冬閑」を出品、以後毎回出品。 |
1947(昭和22)年 | 第1回美術団体連合展に出品、以後昭和26年まで出品。 |
1948(昭和23)年 | 第4回日展に「山湖の秋」を出品(依嘱)、文部省買上。 |
1950(昭和25)年 | 東京都新宿区上落合へ転居。 |
1951(昭和26)年 | 秀作美術展に「森と港」を出品(翌年も出品)。著作「クレパス画の描き方」が出版される(教育美術振興会)。 |
1952(昭和27)年 | 第1回日本国際美術展に「丘の春」他を出品。以後出品。 |
1954(昭和29)年 | 第1回現代日本美術展に「PortKobe」他を出品。以後出品。 |
1955(昭和30)年 | 著作「油絵の描き方」が出版される(教育美術振興会)。 |
1956(昭和31)年 | 著作「アトリエ-風景画の実技」が出版される(アトリエ出版社)。以後アトリエ出版社よリ6冊の著作が出版される。 |
1961(昭和36)年 | 第4回日展に「信濃」を出品(評議員)、東京国立近代美術館買上。 |
1963(昭和38)年 | 小樽市民会館の緞張の原画「赤岩朝陽」を描く。第7回日本国際美術展に「海棠の花咲く」を出品、東京都美術館買上。 |
1964(昭和39)年 | 札幌大谷短期大学美術科教授となる。 |
1966(昭和41)年 | 小樽市に作品10点を寄贈、小樽市民会館内に中村善策記念ホールが開設される。紺綬褒章を受章。 |
1967(昭和42)年 | 第1回一水会道作家展に賛助出品、以後毎回出品。第10回日展に「石狩湾の丘の邑」を出品(評議員)、文部大臣賞を受賞。 |
1968(昭和43)年 | 第11回日展に「張碓のカムイコタン」を出品(評議員・審査員)、日本芸術院賞を受け日本芸術院買上。 |
1973(昭和48)年 | 妻、舞子死去。日展常務理事となる。 |
1977(昭和52)年 | 日展参与となる。 |
1978(昭和53)年 | 北海道立近代美術館、東京小田急百貨店にて中村善策展開催(道立近代美術館・北海道新聞社・中村善策展実行委員会主催)。著作「風景画入門」が出版される(保育社)。勲四等旭日小綬章を受章。 |
1980(昭和55)年 | 日展参事となる。 |
1981(昭和56)年 | 船橋そごうにて中村善策展開催。(日本経済新聞社主催)。 |
1982(昭和57)年 | 8月来樽、小樽市住吉クラブにて写生、最後の帰郷となる。 |
1983(昭和58)年 | 4月27日逝去。 |
お問い合わせ
教育委員会教育部 市立小樽美術館
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