公開日 2020年11月14日
更新日 2020年12月24日
アイアンホース号が走る総合博物館の敷地は、北海道最初の鉄道「官営幌内鉄道」の起点となった手宮地区にあります。
幌内鉄道は、開拓使によって手宮(小樽市)から幌内(三笠市)の間に敷設された鉄道で、北海道内陸部に発見された幌内炭山から石炭を輸送するルートとして開発されました。
北海道近代化の取り組みの中、資源の開発は特に重要な事業であり、手宮地区は輸送拠点として大きな発展を遂げました。
手宮には現在も当時を忍ばせる数々の遺構が残されています。アイアンホース号も「鉄道のまち」のシンボルの一つとしてこれからも走り続けていきます。
官営幌内鉄道の誕生
北海道の近代化は開拓の先進地アメリカをモデルに進められました。幌内鉄道の建設を指導したのもアメリカ人技師ジョセフ・U・クロフォードでした。クロフォードは明治12(1879)年に難工事と考えられていた張碓海岸(小樽市)の道路開削に成功し、さらに翌明治13(1880)年には幌内鉄道の建設を任されます。
工事は着工からわずか11ヶ月で手宮・札幌間が開通、アメリカから輸入された2両の蒸気機関車(義経号・弁慶号)も完成し、11月28日に汽車運転式が挙行されました。
その後、豊平川の架橋など数々の難関を乗り越え、明治15(1882)年11月13日に手宮・幌内が全通、翌年9月17日、開業式典がとりおこなわれました。
鉄道のまちの発展
幌内鉄道の開業を皮切りに、北海道では鉄道網の拡大と産炭地の開発が進められました。特に資本力を持つ北海道炭礦鉄道会社が発足すると、空知地方の炭鉱開発が進み石炭の輸送量は増大、石炭の集積地・積出港としての手宮の役割は大きく膨らんでいきました。
手宮には様々な石炭・鉄道関連の施設が建設され、多くの人が集まり賑わいを増していきました。明治44(1911)年には巨大な石炭積み込み施設「高架桟橋」も建設されました。
鉄道の歴史を伝える地に
やがて時代は移り、鉄道国有化によって手宮〜小樽(現:南小樽)の路線は「手宮線」に、石炭の積み出しの役割も新たに整備された築港地区が中心になります。
昭和38(1963)年、機関庫と周辺施設を利用した北海道鉄道記念館が開館し、手宮は北海道の鉄道の歴史を伝える記念の場所として生まれ変わることになります。そして平成8(1996)年に小樽交通記念館が開館、鉄道発祥の歴史を受け継いでいくために、アイアンホース号が走り始めます。
現在は小樽市総合博物館がその役割を引き継いでいます。