市長記者会見記録令和元年10月21日

公開日 2019年12月12日

更新日 2021年01月06日

市からのお知らせ

  • 「小樽市公式使節団」ロシア訪問からの帰国報告について
 

下記のとおり、市長から発表がありました(午前11時00分~)

(総務部長)
定刻となりましたので、これより小樽市公式使節団ロシア訪問の帰国報告会を始めさせていただきます。報告に先立ちまして、今回の出席者を紹介いたします。

 使節団は姉妹都市班と港湾班に分かれておりまして、姉妹都市班として、団長の迫市長、小樽商工会議所の西條文雪副会頭です。続きまして、港湾班代表の株式会社光合金製作所の井上晃代表取締役社長です。今回、小樽市公式使節団に大学生として初めて参加した小樽商科大学商学部2年の佐藤遥さんです。佐藤さんは姉妹都市班に所属していただきました。それでは市長より帰国報告をお願いします。

 

(市長)

 おはようございます。本日はお忙しいなかお集まりいただきありがとうございます。先日、ロシアの沿海地方の南部にある姉妹都市のナホトカ市と、ウラジオストク市の両市を訪問しましたので報告いたします。以前は、市長が海外視察を終えた後に報告会を開催していましたが、少し記憶をさかのぼってみても、この間、報告会が無かったと思いまして、今後市長が海外視察を終えた後は、こういった報告会を開催したいと思っています。

 今日は私の他に、商工会議所の副会頭であり観光協会の会長でもある西條さん、光合金の井上さん、小樽商科大学の学生である佐藤さんに同席いただいています。佐藤さんに同行いただいたのは、前回の記者会見でもお話しましたが、この夏にナホトカ市のバスケットボール少年少女使節団が小樽を訪問した際にお手伝いいただいた本気(マジ)プロの一員ということで、なかなかロシアを訪問する機会が無いということもあり、ぜひ若い方に見聞を広げていただきたいという思いから、小樽商科大学に推薦していただきました。これまで長い期間、いろいろな姉妹都市にいろいろな使節団訪問をしましたが、社会人使節団の中に学生が同行したというケースは初めてだと思います。

 今回、10月8日から10月12日までの日程で、私を含む使節団がナホトカ市とウラジオストク市を訪問しました。今回は、親善を目的とした親善使節団と、小樽港のPR、小樽の物PRを目的とした経済使節団の2班を編成したというのが一つの特徴です。私はナホトカ市との関わりがとても長く、20数回訪問しています。小樽市長が変わったということで、昨年からご招待をいただいていました。ナホトカ市姉妹都市提携50周年に使節団がこちらへお越しいただいたときから、市長も副市長も議長も替わっていますので、お互いの親善を深める目的があったのではないかと思います。

 私ども親善使節団は10月8日に成田経由で出発しました。経済使節団は1日遅れて9日に直行便で出発し、10日の夕方に合流して、11日に親善使節団も経済使節団も一緒にウラジオストク市で活動しました。ナホトカ市では、市長、副議長を訪問しました。53年にわたる姉妹都市交流の中で、少年少女を中心とした使節団の交換や、民間でのバレーやヨットの交流などもありました。お互い市長が変わりましたが、これからもさらに交流の拡大に努めたいと約束しました。

 また、滞在期間は非常に限られていましたが、ナホトカ市の郊外にあるボストチヌイ港とコジミノ港という二つの港を見学しました。ボストチヌイ港はロシアの3本の指に入る大変大きな港で、極東にあるクズバズからの石炭の搬出のために拡張工事をしている状況でした。コジミノ港については、東シベリアパイプライン構想のもと、石油を海外に輸出しているということでした。この他の郊外には大変大きな港が整備されており、国家的な戦略拠点だなと実感しました。

 今回、小樽商科大学の佐藤さんが同行いただいたということで、ナホトカ市を離れる日は、ナホトカ市にある「ウラジオストク国立経済サービス大学ナホトカ校」を訪問して、短い時間ではありましたが、現地の学生と交流、見学をしました。同校は、小学校、中学校、高校、大学が一つの建物に併設されており、大変ユニークな取り組みをしている大学でした。

 今回の訪問のもう一つの目的は、小樽市の観光PRでした。昨年の12月にウラル航空が、ウラジオストクと新千歳間の直行便を開設しました。それまで、北海道(小樽)とロシア(ウラジオストク)間は、成田空港を経由していましたので、費用も時間も非常にかかっていましたが、今は非常に安い値段、短時間で行き来できるということで、観光PRを行いました。

 外務省の外郭団体である日本センターを会場に、私が自ら観光のプレゼンテーションを行いました。12社、14人が参加しました。西條副会頭もプレゼンテーションしましたが、私どもの感覚としては、反応はよかったと思います。いくつか小樽の観光パンフレットを配りましたが、例えば、「小樽の海でサーフィンができるのか」「案内表示はどうなっているのか」「小樽のPRをロシア語でできるのか」という質問や、「お互いに情報が少ない。それを解消しなければならない」といった提言などをいただきました。

 ウインドサーフィンについては、銭函方面でサーフィンをしている方もいますとお答えし、案内表示については、当時サハリンとの航路があったことや、中古車の輸出入の関係で多くのロシアの方がいましたので、市内の主要な看板には日本語とロシア語を併記した看板も少し残っていますとお答えしました。これから交流を拡大するにあたって、お互いに情報を提供し合うことや、ロシア語で情報を発信していくことが課題だと感じました。

 その説明会を終えた後に、ウラジオストク市にある総領事館を伺いました。ロシアの極東の中心地は、これまでハバロフスクという北の地域でしたが、今回、国の考え方によりウラジオストクに移されたという話を改めて聞きました。まさにプーチン大統領のアジアや太平洋地域を見据えた戦略の表れだと思います。ナホトカ市にあれだけ大きな港湾の投資が行われているのは、プーチン大統領がロシア沿海地方の南部をアジアや太平洋地域に向けた窓口としてしっかりと位置付けたという表れではないかと感じました。

 ナホトカ市は、村から市になって来年で70周年を迎えます。来年5月18日の「ナホトカの日」前後の週末に大きなセレモニーが行われるということで、ご招待を受けました。時間が合えば訪問したいと思っています。

 ウラジオストク市内を歩いてみて感じた変化として、韓国人の若いグループがたくさん歩いていました。韓国でウラジオストクの街並みが放映されたようで、大変多くの若い方たちが歩いていました。最近、日本でもウラジオストクの街並みが放映されたようで、日本人も訪問するようになったということです。年が明けてからは、日本航空が成田からウラジオストクに向けた直行便を毎日就航することや、全日空は確実と言っていましたが、ロシアと日本・北海道との航空便の利便性が向上されていますので、さらに交流が拡大されるのではないかと思います。私たちも、庁内合意は取れていませんが、しっかりとロシア向けにどのように小樽の街、小樽の観光をPRできるのか、しっかりと考えていきたいと思っています。

 経済使節団の活動については後ほど井上社長からお話しますが、新興住宅地やホームセンターを訪問しました。11日の両班合同の行動では、北海道銀行ウラジオストク駐在員事務所と、その関連会社である北海道総合商事の現地法人ペガスホールディングスを訪問しました。

 私どもとしては、ウラジオストク市やナホトカ市の大変大きな可能性を感じ取ってきました。これまでは、ポートセールスという、港を使っていただくためのPRや、小樽の物産といった活動について、使節団を派遣してきましたが、これからはロシア、特にウラジオストク市に向けた、小樽の観光PRをしっかり発信していかなければいけないと思っています。こういった取り組みは、ある意味先手必勝というか、早い者勝ちのようなところもあります。観光PRは、ウラジオストク市、ナホトカ市のあたりでは、まだどこの自治体もやっていませんので、いち早く手を付けたいと思い、日本領事館の中村総領事にもお願いしてきました。

 私からの概略は以上です。

 

(総務部長)

 他の皆さんからも今回の訪問について一言ずついただきたいと思います。初めに、西條副会頭からお願いします。

 

(商工会議所副会頭)

 私は小樽商工会議所副会頭という立場で行きましたが、観光協会会長という立場もありますので、両方の立場で行ってきました。私は以前一度サハリンには行ったことがありますが、ロシアは初めてでした。私はニュージーランド協会の会長のため、姉妹都市交流に非常に興味を持って行ってきました。人と人との結びつきや信頼関係は一朝一夕ではできませんが、ナホトカ市との姉妹都市交流は50数年の歴史があるということで、長い年月をかけて構築されてきた、醸成されてきたということを、現地でいろいろな人と話をして肌で感じることができました。

 もう一つの姉妹都市であるダニーデンは、ラム肉、マトン肉の輸入港が小樽だったという関係で姉妹都市を結んだ経過があり、私も何度もダニーデンを訪れて、何か経済交流ができないかと模索してきたのですが、距離も遠いですし、為替の問題などいろいろなことがあって、うまくいっていないというのが現状です。

 しかし、ナホトカ市やウラジオストク市は小樽に近いので、そういう意味では貿易においても非常に大きな可能性があると感じました。実際に話を聞くと、玉ねぎを輸入しているとかニンジンが欲しいだとか、他にもいろいろなリクエストがありました。今、新港から釜山に行って、ウラジオストクへという航路があるかもしれませんが、せっかく小樽とのコンテナ航路がありますので、これを利用してもっとポートセールスをしながら、貿易の将来性を積極的にできるのではないかと感じてきました。

 一方、観光については、ナホトカ市は観光地ではないので、あまり見るところが無かったのですが、ウラジオストク市は小樽と同じように坂の町で、石造りやレンガ造りといった歴史的な建造物が非常に多く、小樽に似ていると思いました。メインストリートの上から見ると、その先には海があって、クルーズ船が着いて…と、まさに小樽と同じだなと感じました。日本近郊では中国や韓国、台湾などの東南アジアが多いですが、移動時間2時間でヨーロッパを感じることができる町があるのは、非常にポテンシャルが高いのではないかと思います。市長が言うように来年から成田からの直行便が増えます。日本航空や全日空がやるということはそれなりの可能性というか、マーケットとして注目しているということだと思います。小樽にいるロシアの方といえば中古車や古タイヤの関係者が多いですが、観光客として小樽にたくさん来ていただけると思うので、その受け入れも、これから観光協会も一緒にやらなければいけないと思いました。

 

(総務部長)

 ありがとうございました。続きまして、井上社長お願いいたします。

 

((株)光合金製作所代表取締役社長)

 私は港湾班(経済使節団)として行きました。「近くて遠い国ロシア」ということで、港湾班は直行便で千歳からウラジオストクを往復しました。所要時間は2時間です。かなり近くなったということを改めて確認しました。一番近い外国の空港はユジノサハリンスクなのかもしれませんが、ウラジオストクは2番目に近い直行便のある外国の空港ということになります。

 ユジノサハリンスクとウラジオストクは街の規模が違います。ウラジオストクは、今回就航していますが、人口が50万、70万人の都市の街勢とロシアにおける極東の位置づけと相まった街なのかなという印象です。先ほど市長が説明しましたが、直行便があるということは、先方の観光関連のツアー会社等の北海道に向けた観光の機運がすごく高まっています。多岐にわたった質問が出ましたので、機運が高まっていると感じています。私がウラジオストクを訪れるのは4回目か5回目で、ロシアになる前のソビエト連邦の時代から何回か行っています。今のロシア経済は決して好調とは言えない状況ですが、生活物資などを見ると、物は豊かですし、安定した印象を私は受けました。

 港湾班の訪問先についてですが、郵便局のアンテナショップのようなところに日本の商品が半数くらい輸入されていたことを確認しました。ウラジオストクに進出している札幌の居酒屋で昼食をいただきましたが、僕は美食家ではないので何とも言えませんが、遜色ない味でした。新興住宅地においては、郊外ですけれども、12ヘクタールで90区画あり、一区画が非常に広いです。300坪以上ありそうな土地に、僕らが中に入れた住宅は243平米(約70坪)で、庭が広かったです。地下室がない理由を聞いたところ、広い敷地があるので、地下室は必要ないとのことでした。ホームセンターとシティーモールのようなところについては、日本で言うとホーマックやジョイフルエーケーといったホームセンターですが、ロシアの場合は、自分で住宅の養生をするという文化がありますので、セメント袋や角材が売っていました。物については、日本と遜色がないですし、大きなショッピングモールは、ユジノサハリンスクもそうですけれども、ほぼイオンモールプラスアルファみたいな店舗があります。物が豊富にあって、ブランド品も売っているような、とても豊かさを感じました。駐車場も広いです。今回の一番強かった印象は、やはり観光プロモーションプレゼンを聞いていた方々の熱気でした。以上です。

 

(総務部長)

 ありがとうございました。最後に佐藤さんお願いいたします。

 

(小樽商科大学生)

 今回この使節団に初めて学生が参加したということで、非常に貴重な経験をさせていただいたと感じています。正直なところ、僕がこの機会を得なかったら、この先の人生でロシアには行っていなかったと思います。今回、この使節団に参加したことによってロシアを見て回ることができました。ロシアは、観光や旅行で行くには敷居が高く、怖くて冷たいという印象がありました。それが今回、温かい歓迎を頂いて、イメージががらりと変わり、いい経験になりました。ロシアの産業の歯車である港を視察できたり、大学で学生の様子を視察できたり、小樽市長がナホトカ市に向けて、熱心に観光PRしている姿も見ることができ、非常に多くのことを勉強させていただいたと感じています。以上です。

 

(市長)

 補足です。今回の視察は観光のPRが一番の目的でしたが、井上社長からも小樽の観光PRを聞いていた方々から熱気を感じたというお話がありましたが、皆さんから観光PRに使った資料をデータでほしいという要望がありました。自らUSBを持ってきて、その場でデータを渡した方もいますし、そうでない方は名刺交換をするのでぜひ送ってほしいという方もいました。そのようなことがあり、私たちも熱い視線を感じたという印象です。

 そういった要望に速やかに応えていくことが求められると思いますし、ロシア向けのいろいろなインフラがまだ整っていませんので、これを整えていくという作業も、時間をかけないでやっていきたいと思っています。やはり問題になるのは、言葉の問題だと思いますので、その辺の解消も急がなければならないと思いながら帰国しました。

 

報道機関から、下記のような質疑がありました。

(総務部長)
それでは、質問をお受けします。

 

(北海道新聞)

ウラジオストクで観光PRをするのは初めてですか。

 

(市長)
観光PRは、ナホトカ市を含め、おそらくやったことはないと思います。昨年12月に、直行便が就航したことに関するロシアの記事を見たところ、さっぽろ雪まつりや、パウダースノーについて一生懸命PRされていました。これを受けて、我々も早めに対応しなければならないと感じ、この機会に旅行関係者を集めてプレゼンテーションを行いました。過去にこのようなことをしたことはありませんので、今回が初めてとなります。

 

(北海道新聞)
何に一番関心が集まりましたか。

 

(商工会議所副会頭)
観光協会が発行しているパンフレット「もっともっと小樽」を配布しましたが、銭函地区のサーフィンを見て、サーフィンが出来るのかという質問がありました。

 

(北海道新聞)
「もっともっと小樽」は英語版を配ったのですか。

 

(総務部国際交流担当主幹)
はい。この他に、クリアファイル、絵葉書、DVD、小樽をかたどったブックマーク(しおり)を皆さんにお渡ししました。

 

(北海道新聞)
DVDはどういうDVDですか。

 

(国際交流担当・主幹)
英語と日本語と中国語が入った観光PRのDVDで、ロシア語は入っていません。

 

(北海道新聞)
クルーズ船や運河などの質問はありましたか。

 

(市長)
ありませんでした。まず、お互いに情報が足りないという提言がありました。観光PRしようとしても、ウラジオストク側は小樽がどこにあって、どんな街なのか、情報がないのだと思います。名刺交換をしましたので、これからメールなどで問い合わせがあると思います。これにしっかりと答えて、情報交換していきたいと思います。

 

((株)光合金製作所代表取締役社長)
彼らの暮らしは、休暇が長く、休暇を利用して旅行をするので、その行き先としてビジネスの人たちも改革をしているのだろうと思いました。

 

(商工会議所副会頭)
今は世界中どこに行っても日本食を食べられますが、ウラジオストクで日本食を食べられるところは意外と少ないので、これからそういう企業も進出する可能性があると思います。

10月12日に直行便で帰国予定でしたが、この日は関東地方に台風19号が上陸した日でした。ウラジオストクの出発予定時刻は12時20分でしたが、空港に着いた時点で1時間遅れの13時20分ころの離陸と聞きましたが、離陸するかどうかは14時ころにはっきりするとのアナウンスもあり、情報が錯そうしていました。関東地方と北海道の位置関係がよくわかっていないのではないか、という感じを受けました。

 

(北海道新聞)
観光PRで熱気があったのは、新千歳との直行便が就航して、北海道がどういうところなのか未知な部分があるため、関心が高くなっているということでしょうか。

 

(市長)
小樽の観光PRの前提として、直行便が続いてもらわないとこの話は成り立ちませんが、現在、この直行便を支えているのは中国人観光客です。今回、帰国時に利用した直行便は中国人観光客が誰も乗っておらず、日本人約30人のみで、空席ばかりでした。そして、この路線は、今、一度休止して、数か月後に再開します。なぜ休止にするかというと、この時期の中国人の動きが少ないからで、春節などで動きが活発になると再開するというスタイルです。いくら我々が観光PRしても、その前提となるウラル航空の直行便が継続されていなければなりませんので、利用者を増やす努力をしていかなければならないと思っています。今、井上社長がおっしゃったように、滞在期間が長いヨーロッパ型ですので、回遊性を考えて、小樽だけではなく、ニセコ、倶知安も含めた後志管内で連携して広域のPRもする必要があると思っています。

 

(朝日新聞)
観光に行ったとして道を尋ねるときに英語は通じますか。

 

(市長)
英語は通じないですね。

 

(商工会議所副会頭)
看板もロシア語です。今はみんなスマホアプリで地図見て歩いています。

 

(朝日新聞)
ビザは短期、観光ビザで行けますか。

 

(市長)
まだビザは必要です。そこがネックで、国家間の問題です。ビザは領事館で取る必要があり、私たちもビザを取っていきました。ただ、私は観光地としては西條会長がおっしゃったように一番近いヨーロッパですから、特に韓国だとか中国だとか、アジア人にはいいのではないかと思います。

 

(朝日新聞)
ウラジオストクはロシア海軍の基地ですよね。制約は無いのですか。

 

(市長)
無いですね。ソ連時代は入れませんでした。ソ連が解体してから海外に開放された港で、それまではナホトカ、日本との窓口は横浜とナホトカの定期航路だけでした。ウラジオストクが開放されてからはもう完全に、海外に向けた窓口はナホトカからウラジオストクに変わっています。ただ今は立ち入り禁止ではありませんので、もう観光客はほぼフリーです。

 

(朝日新聞)
食事は、例えばどういうものがおいしかったですか。

 

(小樽商科大学生)
一番おいしいと思ったのはボルシチで、トマトスープみたいなものをイメージしていましたが、全然違っていて、すごくおいしかったです。

 

(市長)
佐藤さんはピロシキを食べたいと言っていましたが、私たちは表敬訪問として行っているので、良い料理が出ます。ピロシキは家庭料理なのでなかなか食べる機会が無かったのですが、ちょうどウラジオストクの中央広場でバザールをやっていて、そのバザールでピロシキを買って食べました。

 

((株)光合金製作所代表取締役社長)
食事は北海道の人には合うと思います。味が塩辛くて濃いんです。年配の方はきついかもしれませんが、若い方は全然大丈夫だと思います。

 

(北海道新聞)
ウラジオストクからナホトカはどれぐらい移動時間がかかりましたか。

 

(市長)
今回は変則的でしたが、通常ですと、陸路で3時間みます。空港はずっと手前にありますので、空港からだと2時間強で行くのですが、空港とウラジオストクが1時間くらい離れていますので、ウラジオストクの町まで入るには3時間みます。

 

(北海道新聞)
ナホトカからすると、一番近くの大きい街はウラジオストクになるのですか。

 

(市長)
そうです。

 

(朝日新聞)
行くとすれば夏がいいのですか。

 

(市長)
彼らがよく言うのは「ザラトイオーセニ」という言葉があって、「ザラトイ」は黄金、「オーセニ」というのは秋で、「黄金の秋」という意味です。紅葉にはなりませんが、9月末から10月の上旬が彼らにとって好みの時期なんじゃないかと思います。

 

(北海道新聞)
佐藤さんにお聞きますが、何が一番印象的でしたか。

 

(小樽商科大学生)
テレビ番組でロシアの店員さんは笑わないと聞きましたが、中にはそういう人もいましたが、買い物のルーブルなどで手こずったときに、言語は通じなかったんですが、みんなにこにこして教えてくれて、意外と優しいというのが印象的でした。

 

(北海道新聞)
ウラジオストク国立経済・サービス大学で、学生さんとの交流はできましたか。

 

(小樽商科大学生)
直接の対談はありませんでしたが、体育の授業を見学しました。一言あいさつをする機会も何度かありました。

 

(市長)
せっかくの機会でもあるし、勉強もしてもらいたいと思ったので、いろいろな場面で、佐藤さんにも一言お話ししてもらうように心掛けました。

 

(北海道新聞)
ウラジオストク国立経済・サービス大学の様子は日本とは違いましたか。

 

(小樽商科大学生)
この大学は小学校からあるのですが、小学生は立ったまま授業を受けていました。足元には足つぼのようなものがあって、健康志向の学校でした。そういうところは日本にはなかなか無いと思います。その大学だけではなく、ロシアにはユニークな学校が他にもあるのかなと感じました。そういうところが面白かったです。

 

(北海道新聞)
大学の講義などは見ていないですか。

 

(小樽商科大学生)
見ませんでした。

 

(市長)
教室に入ったのは小学校だけで、体育館で高校の体育を見学しました。各教室には、脳を活性かするために視点を動かすような表が貼ってあって、いろいろな工夫がされていました。

 

(総務部長)
以上を持ちまして、帰国報告会を終わらせていただきます。

 

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