公開日 2020年12月14日
更新日 2021年01月12日
- 小樽市の姉妹都市であるロシア沿海地方ナホトカ市の最近のできごとを、ナホトカ市行政府のホームページ(外部サイト)や現地の新聞などからお伝えします。
- そのほかの「ナホトカ市の最近のできごと」は「ナホトカ市」のページをご覧ください。
2010年4月30日鉄道のはじまり
最初の列車がナホトカに到着してから75年を迎える。1935年5月1日、貨物列車がガマルニク駅(現在のパルチザンスク駅)を出発し、ラツィス駅(同ナホトカ駅)に到着した。(詳細記事は以下のとおり)
ウラジオストクとナホトカ湾を結ぶ鉄道の建設は、1933年に始まった。この工事は、ヤーナ・ラツィスの命令のもと、鉄道軍の特殊部隊が請け負ったと歴史的な資料は証言している。
赤軍兵士たちは木を伐採、枕木に加工し、さらにはレールを敷設し、土木工事を行った。森林や泥沼地を通過する線路は過酷な状況のもと敷設された。軍の規律と熱意が事業を成し遂げ、工事は所定の期間に終えることができた。1935年ソビエトで初めて鉄道ダイヤが導入され、この頃すでに、その後ナホトカ駅と改称されるラツィス駅は完成していた。
1935年5月1日、ガマルニク駅からラツィス駅に最初の貨物列車が到着した。この列車は空の貨車で編成され、ゆっくりと走行したため、途中で近隣の住民たちが乗り込んだ。終点では軍の音楽隊と、世界の労働者の団結を祝う集会が出迎えた。1936年秋、ラツィス駅からハバロフスクに向けて、最初の旅客列車が出発した。最終的には1941年に極東鉄道局のナホトカ駅として供用が開始された。
今日、鉄道を抜きにしてナホトカを語ることはできない。ナホトカを通じてロシアからアジア・太平洋諸国への貨物が通過している。ナホトカ駅と東ナホトカ駅の年間処理能力は4000万トンに達している。
ナホトカ市行政管区広報担当
コンスタンチン・シェブキン
2010年4月20日店舗をまちの顔に
ナホトカでは、消費市場における企業によって、試験的に地域の整備と衛生のための措置がとられる。オレグ・コリャージン市長が定例会議の場で、依頼した。(詳細記事は以下のとおり)
市長は、店舗やその他の商業拠点など、消費市場における企業の外観の汚れについて配慮するよう呼びかけた。市長によると、それらの多くは街路に面しており、まちの顔であるにもかかわらず、必ずしも美化に配慮されていないとのことだ。
このため、消費市場及び企業局は、企業に対して地域における整備と衛生のための措置について、課題を点検するよう依頼した。「店舗の近くのゴミをなくすること。これだけでは十分ではない。店舗の外壁を清掃し、アスファルトの表面の凹みをなくすること。その方法はある。」と市長は強調した。
また、これから迎える第65回目となる戦勝記念日やナホトカの市制60周年記念日に向けて、小売店やスーパーマーケット、ショッピングセンターは自らの店舗の装飾を考えてみることが必要だとも述べた。
経営者や社員にとって、創造的に表現を行うための時間はまだある。
ナホトカ市行政管区広報担当