公開日 2020年12月14日
更新日 2021年01月12日
- 小樽市の姉妹都市であるロシア沿海地方ナホトカ市の最近のできごとを、ナホトカ市行政府のホームページ(外部サイト)や現地の新聞などからお伝えします。
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2016年1月
1月20日ナホトカは犠牲となった船員と漁労者たちに敬意を表した
数週間続いた暴風が、ナホトカ遠洋漁業基地のトロール船「ボクシトゴルスク」号と他の極東の企業に所属する僚船の乗組員の命を奪ってから、51年となった。
ナホトカ遠洋漁業基地の退職者、犠牲者の親族、極東高等航海学校の生徒らが、犠牲者となった同郷人、仲間、親族に敬意を表するため「青年の家」に集った。
イリーナ・ニキフォレンコナホトカ市長補佐官は参列者に語りかけた。「時々、自然の猛威が人間に勝ることがあります。そして、その時、悲劇が起きるのです。歳月を重ねても、勇敢な船員や漁労者たちへの思いは、いつもナホトカ市民の心にあります。」と。彼女のことばに、ナホトカ遠洋漁業基地の船長であり責任者でもあるヴァシリー・コフトニューク氏や、乗組員の未亡人であるニコラーヤ・オベジーナさんとジナイーダ・ノビコーヴァさんは頷いた。最後に、参加者は黙祷をささげた。
「青年の家」での厳かな集会の後、生徒、犠牲者の親族そして企業の代表者らが、慰霊碑となっている「悲しみの母」に花をささげた。(写真)1979年に建立された慰霊碑によって、悲劇は忘れることのできないものとなった。ナホトカの街並みや入り江が一望できる「白鳥の丘」が慰霊碑建立の場所に選ばれた。トロール船「ボクシトゴルスク」号で犠牲となった総員24名の氏名が台座にあるプレートに刻まれている。アナトリー・オフリメンコ氏が唯一の生存者である。
1965年1月19日、ベーリング海の南東で数週間続いた暴風が、24名のナホトカ市民とサハリンの船舶「セフスク」号、「セベジ」号そして「ナヒチェバニ」号の乗組員遭難の原因となった。ナホトカ市行政府の決定によって、1998年1月15日からこの日が、漁船員の追悼の日とされた。市は毎年、集会を開催することで、また、「ボクシトゴルスク」号の船名を通りの名称とすることで、航海から戻ることのなかった全ての犠牲者を大切に記憶にとどめるようにしている。
ナホトカ市行政管区広報担当
マリーナ・ヴィノグラドーヴァ
青少年スポーツ学校「ヴォードニク」
ロシア沿海地方政府が、青少年スポーツの振興に向け、高いレベルでの成果を挙げたことに対してナホトカ市の青少年スポーツ学校「ヴォードニク」(水先案内人の意)に着目した。
ナホトカ市において、「ヴォードニク」は長年にわたり、最大の補完的教育機関である。ナホトカ市スポーツ部によると、現在、6歳から17歳までの550名の児童生徒が10種目でレーニングを重ねている。そして、経験を積んだ指導者たちが、野球、ソフトボール、ボクシング、バレーボール、レスリング、陸上競技、卓球、新体操などの分野ごとに指導にあたっている。最も児童生徒が多いのは新体操の106名、陸上競技の101名、ボクシングの71名となっている。
ロシアや国際大会では「ヴォードニク」の児童生徒たちの名前は知れ渡っている。たとえば、ボクシングのニキータ・チェルボンは2015年のヨーロッパの中学生チャンピオンである。指導者ナタリア・ベリャーエヴァが率いるソフトボールとウラジミール・ベリャーエフが率いる野球チームは、第7回ロシア学童夏季スポルタキアード(総合スポーツ大会)で良績を収めた。ソフトボールが銀メダルを、野球が銅メダルをそれぞれ獲得した。また、指導者アレクサンドル・テプリャコフが指導するアレクサンドラ・ブチコは、トランポリンのロシア選手権11歳の部の新競技部門で2位となった。
さらに「ヴォードニク」の使命は、大衆スポーツを普及させることでもある。同校は総面積で1,500平方メートルとなる6つの運動場を所有している。屋外施設では、スタジアム、サッカー場のほか陸上トラック合わせて3,000平方メートルある。学校では、児童生徒や社会人のスポルタキアード、毎年恒例の「スポーツ・ナホトカ」、就学前児童のための競技会そして夏季保養キャンプ「ドゥルージバ」(友情の意)のスポルタキアードが開催されている。「ヴォードニク」は、様々なルールのもとで、ナホトカ市のオープン選手権にロシア極東や沿海地方から児童生徒を受け入れ、国際競技会として開催している。2015年12月には同校のメイン運動場で、レスリングの競技体験のため日本の姉妹都市舞鶴市の児童との競技会が行われた。
ナホトカ市行政府広報担当
マリーナ・ヴィノグラドーヴァ