市立小樽文学館長あいさつ

公開日 2021年06月21日

更新日 2023年12月21日

 小樽文学館は、1970年代、グリーンライオンズクラブに寄せられた市民からの一通の手紙をきっかけに立ち上げられた文学館です。手紙にはこうありました。小樽は、かつて数多くの文学者を輩出した街であるのに、それらの人々に関する文学資料は今や散逸の危機に直面している。貴重な文化的財産を徒らに流出するにまかせていてよいのか、と。その手紙は街の心ある人々を動かし、  昭和52年に文学館設立期成会が立ち上げられ、会の人々は、文部省(当時)・文化庁・日本近代文学館や、伊藤整ほか作家のご遺族らのもとへと奔走。そして翌年の昭和53年(1978)11月3日には、現在の建物のこの位置(当時、小樽市分庁舎の2階)に文学館を実現してしまったのです。準備から文学館開設までわずか1年余という、電光石火の動きでした。 

 時期的にみても、〈文学館〉の嚆矢である日本近代文学館の設立から数えて3番目という早さ。しかも、平成の〈事業仕分け〉の影響によりミュージアムの多くが民営化に移行した後も、この小樽文学館は、当初のままに自治体が主体となって運営する文学館として、今や最も長い歴史を誇る館となっているのです。 

 当文学館はその意味で、〈小樽〉というトポスに居る人々の熱気と活力と矜持とを象徵する場所の一つだと言えるでしょう。 

 

 西洋式の底の深い船舶が停泊しやすい場所として港が開けて以来、日本各地からやって来た人々を吸収し、ビッグバン的に拡大していったのが、ここ小樽の街でした。多分最初は、単なる入植者の上陸地、もしくは貨物の積み下ろし港だと考えられていたでしょう。しかし、状況は予想や計画を軽々と飛び越え、浜はみるみる変化し、活気づき、明治後半から昭和期にかけては道内で一、二を争う賑わった海港都市となりました。 

 当時の資料を読みながら、私は想像します。おそらく一番盛んな時代には、毎日どこかで新しい芝居がかかり、映画が封切られ、書店には話題作が平積みとなりレコードの新版が入り、商店・飲食店は新装開店したり、珍しい商品を並べたりしていたでしょう。実際、当時の小樽の若い人達は、よく友人宅や喫茶店に集まっては文学サークルや歌会・句会を開き、また、会館やレストランなどの洒落た会場を借り切って展覧会を開いていました。その頃、小樽の端から端まで〈今何が起こっているか自分はすべて把握している〉と断言できる人はいなかったと思われます。それほどにアクティブで、初夏の草木が勢いよく繁るように自ら伸び続けていたのがかつての小樽でした。そして数多の文学者は、そういう街の活気の中から誕生したのです。 

 

 小樽文学館は、そうした街の在り方を背景に、ここから出身した創作者や著述家のスピリットを、今を生きる人たちに伝えて行きたいと願っています。 

 時代はいつでも、現在進行形で変転しています。かつて誰一人知らぬ者もなかった名作が、今はインパクトを失い色あせて見えることもあります。パソコンで執筆し、連絡はメールでというスタイルが主流となってゆけば、生原稿や直筆書簡の陳列という文学館定番の展示も変更を余儀なくされ、現代作家の紹介には様々な工夫が必要となるでしょう。しかし、変化を受容しながらも、かつて小樽の表現者たちが持っていた情熱を、現代を生きる作家のそれと同じくらい生き生きとした形で今の人々に届けたいと言う夢は、実現は難しいかも知れませんが、意義のあるチャレンジではないかと、私は思っています。 

 現在と過去は、対立項としてあるわけではありません。むしろ、過去の人と現代の我々との時空を超えたコラボレーションを手助けするような形で、「こんな方法もありますよ」と、文学ジャンルにことよせて色々やってみるというのが、これからの文学館の可能態の一つではないでしょうか。そして小樽文学館は、そういう方向を目指したいと思っております。 

 どうか今後とも、皆様のご指導ご鞭撻を、よろしくお願い申し上げます。

 

令和3年6月

亀井 志乃

 

お問い合わせ

教育委員会教育部 市立小樽文学館
住所:〒047-0031 小樽市色内1丁目9番5号
TEL:0134-32-2388
FAX:0134-32-2388
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