公開日 2023年09月23日
更新日 2023年12月07日
市民ギャラリー・多目的ギャラリー(市立小樽美術館1階)
戦後の小樽画壇のチラシ(国松登)は、こちらをご覧ください。[PDF:497KB]
戦後の小樽画壇のチラシ(富樫正雄)は、こちらをご覧ください。[PDF:612KB]
趣旨
北海道の芸術活動が戦後復活する状況は、国松登が、この小樽から画壇のリーダーとなって後進をまとめていきました。国松は、1994年に逝去するまで、道画壇のリーダーであり続けた洋画家です。
地元小樽で、国松は当時の寿原英太郎市長に「市展」の構想を直談判し、開催を実現させます。
歴代の委員長は、小樽市長、国松登、三浦鮮治・・・と続き、はじめ会場は小樽丸井デパート、1956年から産業会館、1979年から市立小樽美術館に移り、現在に至っています。開催当時の市展は、プロの画家が多数を占める真剣勝負の場でした。国松は社交家の面と組織力を併せ持ち、優しく面倒見の良いところがあり、当時無名の藤本俊子や一原有徳のような注目すべき人材に、道を開くための協力を惜しまなかったと伝えられます。
富樫正雄もまた、市展創立委員として戦後道画壇に尽力した洋画家です。富樫と国松は夫人同士(越後ヨシ・チヨ)が姉妹という義兄弟の間柄で、小樽に住んでいた頃は、同じ富岡に家があり日常の行き来は頻繁でした。
富樫の作品は、身近な風景や家族をモデルにした、迫真的な鋭い描写による写実絵画で、生涯一貫してリアリストであり続けた画家でした。
国松は当初から幻想的な心象風景を描き、文学的な趣のある象徴性や大胆な単純化・抽象化を推し進めた時期もあり、二人の制作の姿勢、絵画に対する考え方は全く異なりました。
主張の異なる二人の画家は展覧会場で激しくぶつかり合い、陳列を終えた市展の会場でも、論争を繰り広げました。二人の議論は、周囲の画家にとって大変勉強になるものでした。富樫は委員長などの役職へのこだわりや、運営面で異論を唱えることはありませんが、絵画論については、委員の中で最も抜きんでており、周囲に与えた影響は計り知れないといわれています。
本展は、心象と写実という異なる作風でありながら、ともに戦後の芸術活動の復興になくてはならない存在だった二人の画家、国松登と富樫正雄の作品を展覧いたします。(観覧無料)
会期
令和5年12月6日(水)〜12月28日(木) 9時30分~17時(最終日は15時まで)
休館日:月曜日