小樽市の平和事業

公開日 2020年10月11日

更新日 2025年08月21日

平和事業

小樽市では、昭和57年6月の市議会での「核兵器廃絶平和都市宣言」をきっかけに、毎年度、平和事業を開催しております。

「令和7年度平和事業」[PDF:159KB]

「令和7年度平和事業」(実績)[PDF:637KB]

小樽市平和派遣団派遣報告会を開催しました

「小樽市平和派遣団」として、8月6日に平和記念式典が行われた広島県に派遣しました中学生4名の皆さんに、今回、平和派遣団に参加したことによる戦争や平和に対する心境の変化や、派遣団に参加して学んだことなどを令和7年8月17日(日)に小樽市立図書館で派遣報告会を開催し発表してもらいました。

派遣報告会

派遣先

広島県広島市、呉市、竹原市(大久野島)

派遣期間

令和7年8月4日(月)~令和7年8月6日(水)

小樽市平和派遣団の旅程

8月4日(月)
  市役所集合  ⇒  新千歳空港  羽田空港 広島空港 呉市:大和ミュージアムサテライト 広島市内ホテル着    
  (6:15集合)               (乗り継ぎ)                 てつのくじら館                        
8月5日(火)
ホテル発 平和記念資料館、平和記念公園 広島市内  ⇒  竹原市:大久野島 広島市内ホテル着
                      ( フィールドワーク       毒ガス資料館          
                       (被爆体験伝承講話       発電場跡 など        
8月6日(水)
ホテル発 平和記念式典参列 広島空港 羽田空港 新千歳空港   市役所解散
                               (乗り継ぎ)   (18:20着)

  平和記念公園 原爆ドーム

  平和祈念式典1 平和祈念式典2

小樽市平和派遣団参加者の応募作文の紹介

本年(令和7年)は、戦後80年を迎えることから、子どもたちに戦争の悲惨さや平和の大切さへの理解を深めてもらうため、「小樽市平和派遣団」として、8月6日に平和記念式典が行われた広島県に中学生4名を派遣しました。市内在住の中学生又は市内の中学校に在籍する生徒から、「平和」に関する「戦争と平和についての思いと参加を申し込まれた動機について」をテーマにした作文を募集し、市で設置した選考委員会で選考を行い選ばれました4名の応募作文をご紹介します。

松ヶ枝中学校 松下壱咲さん

 僕たちが普段何気なく過ごしている「平凡な」日常。実は、それは平凡なものではない。なぜなら、今も世界のどこかでは戦争が続いているからです。そのことを考えると僕たちが小樽のような平和な街に住んでいることは、幸せなことです。
ある日の社会の授業のことです。社会科の先生が、認知症を患って、もう孫の顔も忘れてしまった祖父のお見舞いに行った時、祖父が先生の顔を見るなり「生きていたのか。よかった。」と泣き出してしまったという話をされました。祖父は孫のことをかつて一緒にシベリアに抑留されていた戦友だと思ったのでしょう。その話を聞いて思い出したのが、僕の父の祖父のことです。僕の父の祖父も、シベリアで抑留され必死に逃げて帰ってきているのです。 
 その授業の中で、先生が言った言葉が忘れられません。それは、「戦争の当時を知る人が減ってきていて、戦争は、昔のものになりつつある。」という言葉でした。そんな時に、この広島派遣の案内を知りました。ちょうど社会科で戦争の勉強をしていたこともあり、広島に行きたい。と思いました。そこで、国語の先生が授業でヒロシマの話をしていたことを思い出しました。小樽市平和派遣団募集にあたり、僕はこの先生にも話を聞きました。先生は、古くからの友人が被爆二世であると知ったことで、友人としてヒロシマを知ろうと。毎年広島に行っているそうです。先生は広島に行ったとき、街の中全てが誰かの命の最後の場所で、自分が今立っているところもそのような場所だと思ったそうです。この話を聞いて僕は胸が締めつけられ、写真で見た広島の街の景色はかつて苦しみや悲しみとともに終わりを迎えた命の場所だと気づきました。そして戦争が「遠い過去の話」ではなく、誰かの「今」に深く刻まれていることに初めて気づかされました。そして僕は、ただ平和を願うだけでは足りない。もっと知りたい。自分の目で確かめたいと更に強く思いました。
 広島市内には、街中に被爆の傷跡が遺されています。そこには、戦争の現実、被爆の実相があり、そこだけの湿度、空気、風、そして、そこを生きてきた人たちの声が遺されています。僕はそれを自分の目で、耳で、肌で、感じて心で受け止めたいです。ただ教科書や映像で知るものではなく、その場でしか感じられないものがあると信じています。「広島に行く」ということは、今の平和を実感し、過去から学び、未来をどう生きていくのかを考える、僕にとって大きな一歩だと思います。小樽の静かな街で生まれ育ったからこそ、広島での学びを自分の街に持ち帰り、戦争を知らない僕たちだからこそ、誰かの悲しみや苦しみを「歴史」としてではなく、生きた記憶として受けとり、それを僕たちの世代へ繋いでいくのが僕の役割だと思っています。
 記憶を継承し続けることが、平和を守るということだと、僕は、心から思います。

菁園中学校 堀江礼乃奈さん

 ニュースなどでウクライナ侵攻やインド、パキスタンの紛争を見て、考える。「平和」とはなんだろう、なぜ戦争が起こってしまったのだろうと。戦争では互いの正義を振りかざし、どちらも己が正しいと信じている。でもその正義で多くの命が犠牲となり、大切なものを失うことがある。それなのになぜ殺し合ってしまうのだろうか、本当に大切な事を忘れてしまったのだろうか。そして日本でも戦争があった当時の人々はどのような状況で何を思っていたのだろう。
 私は本当の答えを見つけるために、自分の目で本当のことを知りたいと考え、今回の「小樽市平和派遣団」に応募した。
社会の授業やこれまでに読んだ本で私が知っていることは、昭和20年8月6日、午前8時15分、太平洋戦争中、アメリカ軍が広島へ世界初の原子爆弾を投下したということ。人々が朝ごはんを食べたり、仕事へ行っていたりとそれぞれの一日を始めようとしているところに突然空襲警報が鳴って、避難する間もなく凄まじい轟音と共に灼熱の火球が広島へ投下された。広島市公式ウェブサイトで調べると、広島に原子爆弾が投下され、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年12月末までに、約14万人が亡くなられたと推定されている。14万人というのは、なかなかイメージが湧かない。小樽の人口が現在約10万人程度なので大体小樽市民全員とさらに4万人が亡くなっていることになる。これはものすごい人数で、その中には原爆投下後すぐに亡くなってしまった方もいれば放射線により苦しみながら亡くなった方もいるそうだ。亡くなった方の他にも被爆により、大きな火傷や怪我を負った方、行方不明の方など原子爆弾の被害を被った人は数えきれないほどいる。その事を思うとなんとも言えず胸が苦しくなる。でも私にはまだ大切な人を理不尽に失ってしまった悲しみが分からない。
 言葉で表すことはできない程辛く、苦しく、痛いだろうという想像とただ悼むことしかできないことへなんとも言えないもどかしさを感じる。
 本当に大切な事は国の利益や繁栄ではなく、一人ひとりの命と当たり前の日常だと私は思う。「平和」とは何か、今私達にできる事は何かを見つめ、広島に原爆が投下された当時なにがあったのかをしっかりと受けとめて多くの人に伝え、争いのない世界へ繋げていきたい。だから、私は「小樽市平和派遣団」として広島へ行き、実際に見たもの、聞いたことをもとに自分がこれからできることは何かを見つけたい

桜町中学校 清水端咲乃さん

 私は、小学校の授業で、たずね人という教材を学習する機会がありました。そこで、戦争について興味を持ち、戦争について調べることで、今まで何も知らなかったんだと気付きました。そのため、戦争の歴史などをもっと知らなければならないと思い、今回小樽市平和派遣団に応募しました。
 教科書でたずね人を読んで、原爆ドームが登場するシーンがあり、原爆ドームというものが気になり調べたところ、1945年の8月16日午前8時15五分頃に原爆が落とされ、たくさんの人が亡くなってしまったということを知り、心が痛くなりました。広島へのたった一回の原爆で14万人もの人が亡くなったとわかりました。小樽の人口よりも多い人が亡くなってしまったことに驚きました。原爆の被害にあった方だけでなく、戦争に行き命を落としてしまった人もたくさんいます。私は、戦争は絶対にしてはならないことだと思いました。
しかし、今世界ではロシアとウクライナで三年ほど戦争をしています。あの時の広島のように、苦しんでいる人が、今もたくさんいるんだなと感じました。このような、残酷な戦争が今も続いているということが悲しくなりました。また、日本がこの戦争の被害にあわれた方に向けて、医療支援などを行っていることや、他にも物資支援や教育支援をしていることがわかり、苦しんでいる人を支援することが素晴らしいことだと思いました。私は、将来戦争により苦しんでいる人を救う仕事や、戦争をなくす取り組みが出来る人になりたいです。 
 私が派遣団に参加できたときは、一人でも多くの人に戦争について知ってもらう活動をしたいと考えています。この活動をすることで、ウクライナの戦争や世界中で紛争に苦しんでいる人を、一人でも多く救えるかもしれないなと思います。
 私は、5年生の頃の教科書で興味を持ち、広島の原爆ドームから日本の戦争の歴史について調べてみて、今までにこんな残酷な出来事が行われていることにとても驚き、悲しくなりました。
そのため、実際に原爆ドームを目にして感じることで、戦争について、より知りたいと思い、この小樽市派遣団に応募しました。

長橋中学校 土田悠叶さん

 僕が戦争を知ったきっかけは学校の社会科で学んだ時です。そこから興味を持ち、YouTubeなどで調べたことがきっかけです。父方の曽祖母は戦時中、赤十字の看護師として働いていたそうです。負傷した兵士を看病していたというのを親から聞きました。この話を聞いた時、僕は19才という若さでいつ空襲にあうかわからない所に行くのは怖いと思い、それに治癒方法を聞いた時は想像を絶する物で自分に置き変えて考えるのは無理だと思いました。それでも遠く親元をはなれた父方の曽祖母はすごいなと思いました。余談になりますが大変な思いをした曽祖母ですが当時介護していた兵士に数十年後、わざわざ九州からお礼を言いに来たということがあったそうです。
 身内でこのような体験をしていたけれど、僕は具体的に学べる場所が少ないです。なので実際に被爆を受けた土地に行って現地の人達の思いや実物を見て学びたいと思い応募しました。
ネット記事を読むと、現地の人達の気持ちが書かれていました。そこには80年経った今でも「被爆した物を見るのが苦しい」と書かれていました。身近に戦争を感じる事が無い僕は苦しいと感じずに見ることができると思います。今は当時よりも物が豊かになっています。平和なように見えるけれど戦争によって付けられた心の傷は未だに癒えていないんだと思いました。
 戦争は普段の生活が一瞬で無くなってしまい、自分の身近な人達や自分さえも命を落としてしまうかもしれません。
 戦争の残酷さや悲惨さを学び二度と起こしてはいけないことだというのを皆で分かり合って一人一人が気を付けることができれば、戦争の無い平和な世界が実現できると考えています。
 僕が小樽平和派遣団の一員として広島に行けたら小樽では経験できない「見る」「詳しく聞く」「雰囲気を感じ取る」などをして現地の人達がどのような思いで生活しているのかを知りたいです。
 そして広島に行って学んだことを友達や家族に共有していつか僕が親になった時子どもに伝えたいです。

小樽市平和派遣団募集について

本年(令和7年)は、戦後80年を迎えることから、子どもたちに戦争の悲惨さや平和の大切さへの理解を深めてもらうため、「小樽市平和派遣団」として、8月に平和記念式典が行われる広島県に中学生を派遣する、戦後80年平和派遣事業を実施することとし、派遣参加者の募集を行います。是非、皆様からのご応募をお待ちしております。

※令和7年6月10日(火)をもちまして、受付は終了いたしました。

事業の目的及び概要

派遣参加者は、「小樽市平和派遣団」として、8月に平和記念式典が行われる広島県への派遣を通して、戦争の悲惨さや平和への大切さへの理解を深めてもらうとともに、帰着後(8月17日(日))に開催される「派遣報告会」において、派遣を通して学んだこと、感じたこと等の発表を行っていただきます。
※派遣に伴う旅費等(交通費、宿泊費、朝昼夕の食事代、施設見学に係る入館料等)の費用は市が負担します。

小樽市平和派遣団募集要項は、こちらをご覧ください。[PDF:190KB]

応募資格

市内在住の中学生又は市内の中学校に在籍する生徒 

応募方法

・「平和」に関する「戦争と平和についての思いと参加を申し込まれた動機について」をテーマにした800字から1200字程度の作文の提出が必要です。

・市内の中学校に在籍されている方は、下記のチラシをご覧ください。
・市内の中学校以外に在籍されている方は、学校名、学年、クラス、氏名、ふりがなを記入した上で、下記のアドレスに作文のデータをメールで送信又は専用の応募用紙で、総務部総務課総務係へ提出してください。
※提出できる作文の数は、1人につき1点までとします。
※提出された作文の内容を踏まえて、選考委員会において派遣参加者(4名)を決定します。                                              ※応募方法などでご不明な点がございましたら総務部総務課総務係へお問合せください。

小樽市平和派遣団募集のチラシ(応募方法は市内中学校在籍者向け)[PDF:184KB]

手書き専用応募用紙[PDF:221KB]

応募締切

令和7年6月10日(火)まで(必着)
※上記は総務部総務課総務係への提出期限です。

核兵器廃絶平和都市宣言

 「核兵器廃絶平和都市宣言」[PDF:38.4KB](昭和57年6月28日小樽市議会)

平和首長会議

平成21年10月1日に平和首長会議に加盟しました。

 平和首長会議ホームページ(外部サイト)へ

平和首長会議会長からウクライナにおける戦争に対するメッセージが発せられました

核兵器禁止条約が発効しました

平和首長会議では、「核兵器禁止条約」の早期締結を求める市民署名活動に取り組んできましたが、令和2年10月24日、批准国が条約の発効要件である50か国に達しました。

これにより、令和3年1月22日に条約が発効しました。

 核兵器禁止条約批准国が50か国に達したことについての平和首長会議公開書簡(外部サイト) 

なお、条約は発効しましたが、今後も、同条約を広く浸透させ、核兵器廃絶の推進力とするため、平和首長会議では、引き続き署名活動を行っています。

 平和首長会議ホームページのオンライン署名ページ(外部サイト)

 条約に対する日本政府の考えと「核兵器禁止条約」の暫定的な仮訳については外務省ホームページ(外部サイト)をご覧ください。

お問い合わせ

総務部 総務課
住所:〒047-8660 小樽市花園2丁目12番1号
TEL:0134-32-4111内線213
FAX:0134-25-1487
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