ナホトカ市の最近のできごと(2008年6月)

公開日 2020年12月14日

更新日 2021年01月12日

小樽市の姉妹都市であるナホトカ市行政府のホームページより、社会、経済、スポーツ、文化などさまざまな分野での最近のできごとをお伝えします。最近では、ナホトカ市周辺で予定されている大規模プロジェクトの報道が多くなっています。

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シベリア艦隊コルベット艦「アメリカ」号

2008年6月18日 ナホトカ小湾発見から149年

ナホトカ小湾の発見から149年となった。1859年6月18日、シベリア艦隊のコルベット艦「アメリカ」号の船員が美しい海岸を発見。アメリカ大湾とナホトカ小湾の名前がすべての海図に登載されることとなった。(詳細記事は以下のとおり)

 G.I.ネベリスコイがアムール探検を終えた19世紀半ば、積極的に沿海州の開発と調査が行われた。1854年海軍中将E.V.プチャーチンが朝鮮国境からガモフ岬までの沿海州沿岸の調査を行い、入り江、岬、島のロシア語名が地図上に記載されることになった。ロシアと中国との間で1858年に愛琿(あいぐん)条約、1860年に北京条約が締結され、この地方の調査が積極的に行われるようになった。
 1858年から59年にかけて、シベリア艦隊の船団が沿海州南部の海岸の調査を行っていた。コルベット艦「アメリカ」号でのこの探査は東シベリア提督のN.N.ムラビヨフ・アムールスキーが指揮を執っていた。「アメリカ」号は1856年ニューヨークのウェッバ造船所で進水した。樫で建造され、排水量544トン、長さ50.3メートル、幅8.6メートル、140馬力で八つの火砲を有した船舶だった。海軍中尉のA.ボルティンと参謀長のV.バブキンが戦艦での司令官を務め、士官長のP.オブシャンキン海軍中尉、航海士長のY.アスタフィエフ、そのほか士官のV.ノビツキー、M.バヒリョフ、N.クラシリニコフが乗船していた。
 1859年6月15日、コルベット艦「アメリカ」号は、ムラビヨフ・アムールスキーが外交的な訪問を終えた日本の函館港を出港し、パヴァロートヌイ岬で進路を変えた。6月17日には陸地を確認した。岩の多い岬を回り、未知の入り江に船は進入した。深い霧に覆われ、霧雨が降り、視界は不良であった。船はゆっくりと入り江の奥に進み、岸から2マイル、小高い山の近くで停泊した。地図上に破線で示された場所は、未知の海域であることを物語っていた。
 6月18日の午前4時、N.クラシリニコフは航海士長のアスタフィエフと当直を交代し、当直日誌に歴史的な記述を残した。『午前6時いかりを揚げ、岸の探索に出発した。奥深い入り江に気づく。北東から南西に約3マイル、幅1〜1.5マイル、水深は均等に4〜5サージャンで砂地、左右両岸には二つの村落を有した小湾を発見した。提督の命令で小湾を「ナホトカ」(ロシア語で「掘り出し物」の意)と名付けた。』
 大湾はシベリア艦隊で最も高速な船舶の一つである「アメリカ」号の名を付けられたが、年月を経て、政治的な理由によって1972年からナホトカ大湾と改名されている。
 
地図(ナホトカ大湾「旧アメリカ大湾」) (参考1)
地図中央に位置しているのが、ナホトカ大湾(旧アメリカ大湾)で、左右にある小さな湾のうち、地図左側がナホトカ小湾です。

(参考2)
サージャンはメートル法採用前の単位で1サージャンは約2メートルです。
 

ソフトボール試合の様子

2008年6月7日 ナホトカの野球場が国際試合でこけら落とし

ナホトカにロシア極東では唯一となる野球とソフトボール専用の球場が建設された。新しいフィールドでは、こけら落としとして、アメリカ合衆国と日本の総領事館の混成チームが、ナホトカ市行政府の職員と対戦した。(詳細記事は以下のとおり)

 「ピッチャー」と「キャッチャー」がどのように違うのか、また、「イニング」と「ストライク」が何であるかを、ナホトカ市行政府の職員たちは理解することとなった。アメリカ合衆国と日本の総領事館の外交官たちが、彼らに野球のルールを伝授したからだ。日米両国の領事館とナホトカ市行政府職員のチームによる親善試合が新設された球場での最初の公式戦となった。自らも建設に携わったオレグ・コリャージン市長は外交官たちの来訪に感謝するとともに、将来にわたってスポーツ施設を拡充することを誓うとともに、「新たなスポーツ施設は将来への投資である」と述べた。三カ国の代表によって赤いテープがカットされ、セレモニーは終了した。
 まず、ナホトカ市行政府職員にとって野球は初めてであることを指摘しなければならない。しかし、すぐにルールを理解した。オレグ・コリャージン市長が最初のバッターボックスに入った。試合前のインタビューで彼は報道陣に「野球に似たロシアのラプターも経験したことはないが、この新しいスポーツを特別にむずかしいとは思わない」と語った。職員同士の試合は8対5の結果で、沿海地方立法議会プスラン・マカロフ議員と、市体育スポーツ局セルゲイ・ルイセンコ局長がランニング・ホームランによってすべてのベースを駆け抜けた。
 ウラジオストクのアメリカ合衆国総領事館のトム・アンブルスター総領事が混成チームのキャプテンを務めたが、彼は熱狂的な野球愛好者である。アメリカと日本の混成チームは、得点のためあらゆる戦法を試みた。観衆の前で3本の「ホームラン」が放たれた。「ホームラン」とは打球がフィールドの上空を通過し、球場を超えるもので、即刻得点に結びつく安打である。5回を戦い、11対10で外交官の混成チームが勝利した。試合のあとで、市長とトム・アンブルスター総領事は再戦を約束した。
 球場の建設はナホトカでは異例の速さだった。空き地を専用球場に変えるのに2週間と少しを要した。ロシア極東地域では初めての専用球場である。少年少女のためのフィールドで、42メートル四方の標準的な広さを有している。球場には人工芝が張られ、観客席と妨球ネットが設置され、球場の周囲はアスファルト舗装されている。人工芝のおかげで、市立青少年体育学校「ボードニク」は冬になるまで野球の練習を行うことができるようになった。
現在250人の少年、少女達が練習を積んでいる。2007年のロシア学童スポーツ大会での銀メダルがあるが、まだ「ボードニク」には全ロシアや国際大会での大きなメダルは少ない。

赤いテープカットの様子 野球の練習の様子

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