ナホトカ市の最近のできごと(2008年12月)

公開日 2020年12月14日

更新日 2021年01月12日

 小樽市の姉妹都市であるナホトカ市行政府のホームページより、社会、経済、スポーツ、文化などさまざまな分野での最近の出来事をお伝えします。

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アメリカ号

2008年12月15日 ナホトカ湾の発見から150年

 2009年6月17日にナホトカ湾の発見から150年を迎える。歴史的な資料によると、ちょうどこの日、「アメリカ号」(写真)が名もない入り江に進入し、停泊した。市内の団体は、この歴史的な日の祝事に向けてすでに準備を行っている。(詳細記事は以下のとおり)
 ナホトカ市行政府に設置されている観光協議会で、ナホトカ湾の発見から150年を祝う記念事業について審議が行われた。旅行会社の幹部、郷土史家、文化人や芸術家たちが、事業の提案を行った。
 ナホトカ市観光振興部のナジェジダ・マリク部長は「子供たちのふるさとに関する作文コンクールが予定されると共に、郷土博物館では歴史的な文書、ナホトカ湾の発見者や移住者たちの写真の展示が予定されている。またナホトカ湾の発見に由来する場所を巡る新しい観光コースを企画する動きもある」と述べた。
 すでにいくつかの事業はスタートしている。先日、文学クラブ「エレジー」では、ナホトカ湾の発見者たちの肖像画展が開催された。ウラジミール・コロレフ画家の筆によるもので、古い写真をもとに描かれたものである。発見者のバブキンやネベリスコイなどの名前は、歴史の教科書でよく知られており、ナホトカ市内の通りの名称にもなっている。同時に移住者たちの最初の指導者であったガラリーダ・フルリゲリム氏の肖像画も展示されている。彼は100年以上も前、ナホトカを指導し、当時の沿海地方の軍務知事とは兄弟であった。
 展示は2月まで行われている。
(史実)
 1859年6月17日、シベリア艦隊の一隻「アメリカ号」が、ナホトカの岸辺から2マイル地点でいかりを降ろした。翌日、舵手のニコライ・クラシリニコフによって航海日誌には次のような歴史的な記述がされた。
 『午前6時、いかりを上げ、岸辺の視察に向けて始動した際、深い入り江に気付いた。北東から南西におよそ3マイル、幅が1から1.5マイル、深さが等しく4から5サージェン(※)の砂地の小湾を発見した。左右の岸には2つの集落があった。東シベリア総督のムラヴィヨフ・アムールスキー伯爵の命により、この湾をナホトカ(ロシア語で「掘り出しもの」の意)湾と名付けた。』
(※)サージェンとは、メートル法採用以前の長さの単位で約2メートルになります。

2008年12月8日 選挙に向けた準備がスタート

 ナホトカ市選挙管理委員会では、市長選の日程の決定を受けて初めての会合を開いた。主に、選挙期間中における作業日程などに関する14の課題について審議を行った。(詳細記事は以下のとおり)

 2008年12月3日、ナホトカ市臨時市議会において市長選の投票日が2009年3月1日に決定された。12月5日には決定の効力が生じ、その後、初めてとなる選挙管理委員会が開催された。
 最初の議題は選挙管理委員会の構成員の変更についてであった。正当な理由に基づいて欠員となっていた2名に代わる委員の選任を行うと共に、無記名投票によってヴィタリー・サパテンコ氏を書記に選任した。現在の構成員は、2006年2月10日付けで沿海地方選挙管理委員会の決定により任命されており、委員長にはユーリー・カイダノヴィッチ氏が就いている。
 このほか、選挙管理委員会は市長選の実施やそれまでの準備に関する主な作業日程について審議し決定した。
作業日程には、選挙区の設定、地区選挙管理委員会の編成、有権者名簿の作成、候補者の登録、選挙告知、さらには、投・開票結果の決定に関する事項が定められている。
 また選挙管理委員会は、2008年12月11日から2009年2月28日までの間の執務体制と事務所をナホトカ大通16番地に設置することを決定した。

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